- 日本を守るのに右も左もない - http://blog.nihon-syakai.net/blog -

人々の意識⇔国家(制度)⑦~性権力が武力をも凌ぐ力になった~

人々の意識⇔国家(制度)シリーズ第7弾です。
前回は「人々の意識⇔国家(制度)(6)~東洋人の心の底に残る本源集団性・本源共認性~ [1]」では、略奪闘争を背景とした東洋人の意識構造の形成過程を扱いました。
今回は、予告の通り、統一国家成立前夜の私有権力(男)と性権力(女)の発生とそのせめぎあいを扱っていきます。
               %E5%8E%9F%E5%A7%8B%E4%BA%BA%E3%80%80%E7%94%BB%E5%83%8F.jpg
<画像はこちら [2]からお借りしました>
極限時代(約500万年前~1万年前というかなり長い間)、人類は性闘争を封鎖し、サル時代に獲得した共認機能を命綱に、なんとか生延びてきました。
しかし、・・・続きが気になる方は是非クリックお願いします。
 


しかし、弓矢の発明の結果、自然外圧が低下し、その後ついに遊牧発の性闘争→略奪闘争というパンドラの箱を開けてしまうのです。(何故開けてしまったのか?は前回投稿 [1]を参考して下さい)
実現論第二部「ハ.私婚関係から私権の共認へ」 [3]より

パンドラの箱を開け、性闘争=縄張り闘争を顕現させて終った以上、そして本源集団を解体し、本源共認を破壊して、モグラの性闘争=縄張り闘争の本能の次元まで後退して終った以上、人類は原猿と同じく雌雄解脱共認の形成から共認を再構築してゆくしかない。ところが、掠奪闘争によって人類の雌雄関係=婚姻関係は、一変して終った。本源集団が破壊され、性=婚姻の相手を定めていた婚姻規範が消滅して終った結果、性=婚姻は私的な選択に任されることになって終ったのである。性が、無政府的で本能的な性闘争に任されることに成ったとも言える。

しかし、性の私的な選択の場では、男女の性闘争本能の強弱差から、必然的に女の性に強い価値が生じる。しかも、闘いが無くなり生産基盤も安定してくると、男たちは解脱収束を強め、性欠乏を更に肥大させてゆく。他方、私的な婚姻関係は、女の性的自我をますます肥大させてゆく。そこで、本源集団=母系集団という安定した存在基盤を失い、性的自我に収束した女たちは、性を武器にして己の存在権を確保する方向に(つまり自ら性の商人となる方向に)、可能性収束=性的需要収束してゆく。そして、男たちを挑発しつつ性封鎖(供給制限)して、自分たちの性が「滅多なことでは売れない」「この上なく高価なものである」という性幻想を捏造する。何しろ女は、自分で自分を「至上のもの」と思い込んだら終いで、男たちは女の思い込みに基づくこの期待に応望しようとすれば、女と同じ様に「至上のものなんだ」と思い込み共認するしかない。こうして、性的商品価値(=性資本)の共認がいったん形成されると、それを手に入れる為に男は、女の好き嫌いやあれこれの要求にも迎合し、女に合わせて同じ様に思い込み共認してゆくしかなくなる。しかも、それは最基底の男女解脱共認であり、それを覆すことはもはや誰にも出来ない。

権力とは、否も応も無く人々を従わせることのできる力であるとすれば、女の性資本(性的商品価値)や選択権は、紛れもなく男たちを否応なく従わせることのできる権力=性権力であり、この権力を共認した以上、全ての男は否応なく女(性権力)に迎合せざるを得なくなる。この女の性権(性資本)こそ私権の原点を成すものである。もちろん、人々を否応無く従わせることの出来るもう一つの権力=男たちの武力との力関係によって、必ずしも常に性権力が絶対者に成る訳ではない。しかし、男たちが解脱(性)収束を強めてゆくにつれ、性権力は武力をも凌ぐ力を持つ様になってゆくのである

性権力は武力をも凌ぐ力を持つ様になってゆくのであるといっても、あまりイメージできませんよね?
いい歴史的物語があるので、それを使って説明します。

女の性権力の事例として、有名な物語「竹取物語」をちょっとご紹介。
美しいかぐや姫と結婚したいがために足繁く通う五人の公達に対し、かぐや姫は、『私の言う物を持って来る事が出来た人と結婚したいと言う。
かぐや姫が求めたものは、仏の御石の鉢、蓬莱の玉の枝(根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝)、火鼠の裘(かわごろも)(燃えないとされる布)、大龍の首の珠、燕の産んだ子安貝だった。
どれも話にしか聞かない珍しい宝ばかりで、みな必死に探し求めるも、結局誰も持ってくることはできずに終わってしまう…
詳しくはこちら [4]

上記からわかるように、女の性って権力って言えますよね。立派な身分を持った男たちが、一人の女を物にするために、必死になる。女の性権力が男の私有権力を凌いでいるといえるのではないでしょうか。
ではそもそも、私婚以前、つまり、人類本来の婚姻とはどのようなものだったのでしょうか?
それは、ネイティブアメリカンの事例を見れば少し見えてきます。
るいネットに投稿されている「ネイティブアメリカンに見る「女性への賛歌」」 [5]では、ネイティブアメリカン(本来)と西洋(私権)を以下のように比較しています。
%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96%E3%81%A8%E7%A7%81%E6%A8%A9%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%AE%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%AE%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E6%AF%94%E8%BC%83.jpg
次回は私的な婚姻関係と国家の形成との繋がりに迫っていきます!

[6] [7] [8]