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特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(2)~戦後日本の意識潮流とマスコミの第一権力化

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ザ・力道山 [1]より画像をお借りしました。
先日8/10のなんでや劇場「金貸しとその手先(特権階級)の思惑は?」では、「特権階級の空中浮遊」という新たな捉え方が提起されました。
そこで、「特権階級の空中浮遊」とはどういうことなのか?その本質は何か?を紹介するシリーズの第2回です。
第1回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(1)~特権階級の世界と大衆の世界の断絶と接点」 [2]というテーマで紹介しました。
今回の第2回は、特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(2)~戦後日本の意識潮流とマスコミの第一権力化について紹介したいと思います。
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なぜ、マスコミについて扱うのか?
それは、マスコミがもつ裁量権こそが「特権」であるからです。
日本のマスコミ(主にテレビ放送)の歴史を振り返ると、1952年に始まり今日までニュースや娯楽などの解脱情報を提供してきました。戦前・戦後の娯楽史 [3]を参照
1家に1台というというのは当たり前で、皆さんもテレビから流れる情報からたくさんの影響を受けてきたのではないでしょうか、つまりテレビの共認形成力はすごい!
しかし、現在のマスコミは国民の期待と向き合えているのでしょうか?過剰報道、ねつ造ということが発覚し、マスコミ不信は高まりつつあるなかで、現在のマスコミの状態は、「特権階級の空中浮遊」といえるのではないでしょうか。
>事実のうち何を、どこまで報道するか?はマスコミの裁量に委ねられているということ。つまり必要な事実が報道されず、不要な情報、どうでもいい情報ばかりが報道されてしまう。
この裁量権こそが、「特権」であり、だから「特権階級」なのだ。
当然、この裁量権で彼らはメシが食えるのだ。
引用:るいネット「裁量権」こそがマスコミの「特権」であり、本質問題 [4]より
そこで、本記事では、①マスコミの構造、②マスコミの第一権力化、③政治家からマスコミへの権力移行の流れについて紹介します。
①マスコミの構造
>明治時代、士族の消滅と藩に代わる中央議会制度の成立によって、序列制度は表面上は無くなったが、1800年来培われてきた序列規範は強く残存し続けていた。
その後、市場の拡大につれて、恋愛や小説や新聞が繁殖してゆき、序列規範も少しずつ衰え始める。しかし、国家の体制が変わっても、集団を統合する新たな統合原理は登場せず、官庁や企業では序列制度がそのまま残存し、現在も序列制度はそのまま続いている。
戦後になると、’50年代、’60年代の理由なき反抗、怒れる若者たちetcの現象が示すように、序列規範が一気に解体されてゆく・・・(中略)
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画像は理由なき反抗 [5]からお借りしました。
従って、序列規範が衰退しても、貧困が残存している上に、企業には序列制度がそのまま残存しており、身分や私益を追求する私権欠乏は衰えを知らずむしろ強まってゆく。だからこそ、’60年代、’70年代は、自由な性(正確には商品価値の性=自我・私権の性)が花盛りとなったのである。
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要するに、戦後も、私権統合の社会であることに何の変わりもなかった。しかし、その間に、恋愛と消費に支えられたマスコミ権力が強固に根を下ろしてゆき、マスコミの共認権力は、資本権力に迫る勢いを示し始める。
引用:るいネット「潮流2:戦後日本の意識潮流」 [6]より
②マスコミの第一権力化
>そういう意味では70年貧困消滅というのは社会の統合原理が生存圧力を基盤とした本能原理(=序列原理)から共認原理へとパラダイム転換した時代であるといえそうです。もう少し詳しく言えば、誰もが認める事のできる観念を共認していくことによって社会が統合される時代に変わったのだと思います。そう捉えるとその共認形成の要にいるマスコミが70年から急速に力を持ち始めた事とも合致します。
引用:るいネット「マスコミの第一権力化」 [7]より
経験したことのない豊かさ実現を迎え、私権(お金・身分)獲得にかわる価値観や活力源を求めていく中で、マスコミから流れる情報は大変珍しく、社会を知る上で一見役にたつ媒体であったのではないのだろうか。
③政治家からマスコミへの権力移行の流れ
・’53年吉田首相が「無礼だ」「バカヤロー」と予算委で暴言を吐いたが、解散総選挙後に首相に指名
・’54年には、造船疑獄に関与した佐藤栄作幹事長が逮捕されそうになった時、犬養法相は指揮権を発動して逮捕を阻止
・50年代後半からテレビの受信契約が毎年倍々で増えていきながら、’56週刊新潮、アサヒ芸能、’58大衆、’59文春、平凡に至って週刊誌ブームがマスコミの共認域を広げていきます。
・60年代前半は所得倍増計画で順風満帆でも、後半になってくると佐藤栄作総裁で闘った’67衆院選で自民党は初めて得票率が50%を割ります。
・タレント議員の進出が顕著になったのは’68の参院選です。石原慎太郎、青島幸男、横山ノックなどはこの時大量票を獲得して政界に進出しています
・革新政権とタレント議員の’70年代から、’80年代の片時の社共躍進後、前述の’90年代以降ガタガタ政権となって、マスコミの第一権力化が歴然となってきたと思います。
引用:るいネット「政治家からマスコミへの権力移行の流れ」 [8]より
以上、マスコミの第一権力化してきた背景について紹介してきましたが、マスコミの裏側には新たなる勢力が存在し、マスコミを媒体として社会の共認形成を図っているという視点は忘れてはならないのです。
次回の記事で紹介してくれると思います。期待します。

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