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庶民による社会統合気運の高まり その最先端の潮流を探る4 ~庶民の社会に対する当事者意識の萌芽~

今回も引き続き、「高まる当事者意識の顕在化」について、最先端の意識潮流を追求していきます 🙄
前回は、鹿児島県阿久根市を事例に取り上げました

阿久根市の竹原市長は、その大胆な行動や過激な発言によって、マスコミや一部の人達から「独裁者」と呼ばれています。ただ、その中身を見てみると、むしろ特権階級化し、既得権益維持のみが目的になっている議会や、公務員の暴走に対して、市長がブレーキをかけようとしているのが実態でした
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(阿久根市竹原市長)
また、この阿久根市の事例は特権階級の暴走に対する歯止めという一面も確かにありますが、実はそれ以上に庶民の意識に新しい可能性の萌芽が感じ取れます

今回は、庶民の意識という視点で、阿久根市の事例を看ていきたいと想います。

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■庶民の当事者意識の顕在化
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(画像はこちら [1]からお借りしました)
市長ブログ「住民至上主義」では、阿久根市民からのメールも紹介されています

■2010/06/23 (水) 議員報酬はばかげてる。
メールの紹介
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お名前:元アルバイト職員
コメント:私は日々の阿久根市長の行動に大変共感しています。ある市役所の市議会事務局という部署でアルバイトしていた時に信じられない事実を知りました。
市議会議員の報酬は月67万円で、議長になると93万円です。それだけでも驚きなのに、彼らが議会等で出席しなければならない日数を数えたら、定例議会は年間4回で1回の定例議会が7日間前後なので年間で約28日間となります。日給にするとなんと28万7千円、時給にすると4万7千円になります。
さらに、交通費が1日一律5千円も支給されます。当然全員地元に住んでいて役所に来るときは歩きか自転車なのにです。議長・副議長は公用車で送り迎えがあるにもかかわらず同じように1日5千円を貰っています。まさに信じられません。しかも議会なんかすべてパフォーマンスにすぎず、後援会のご用聞きをやっているだけ。こんな連中は必要ありません。無駄です。
市長!頑張ってください!!

■2010/06/21 (月) 正しさを戦う
メールのご紹介
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私は、うつを発症し27歳から41歳までニートでした。母ががんばって働いてくれたパート代8万円からアパート代2万円を支払い残った6万円で母と二人で暮らしていました。最下流の私たちには、議員や公務員は仕事もしたふり、責任もたらいまわし、でも夢のような収入で羨ましいなと思ってきました。
しかし、竹原市長が情報を発信されだしてから、羨ましいなんて思っている場合じゃない。戦わなければならない。と、強く思うようになり適正な報酬について考えに考えていましたところ、私の報酬は適正なのか?報酬を頂く為の労働は適正か?と強く自問自答していましたらいつの間にかうつの症状が消え、積極的に就職活動が出来ています。現在43歳、働いて10万円でも20万円でも稼いできっと母を安心させます。
竹原市長。戦う姿勢を教えて頂きありがとうございました。がんばれている自分に感動しています。頂いたパワーで一生懸命がんばります。お体を大切に。さようなら。

■2010/07/02 (金) 日本一のシャッター街・阿久根
デイリーポータル記事より
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~中略~
【あとがき】
というわけで、阿久根ではシャッターを下ろしたままの店の多さを逆手に取り、それを名物にしていたのだった。
と言ってもやはり見えてくるのは地方経済の厳しい現状
 話題になっている阿久根市長についても、ちょっとだけ住民のかたはどう思われてるのか聞いてみた。
すると、マスコミを通したニュース等では強引としか思えないやりかたで役所や議会を混乱させる問題市長という印象に聞こえるが、そこで暮らす住民から聞いた生の声はまるで違っていた。
・住民のために一所懸命やってくれている。
・税金は安くなるし、いいことしかない。
・何度リコールしても同じこと。またあの人が当選する。
と、大絶賛。少なくとも私が聞いた限りでは支持率100%だった。
シャッターだらけの街を歩いた後に聞いたそれらの声は、強い説得力を伴って聞こえてくるのだった。

阿久根市日本一のシャッター街
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(画像はこちら [2]からお借りしました)

上記のような、市民(=庶民)からの声などは他にもたくさん紹介されています
これらの文面から看て取れるのは、なにより素人=庶民の社会に対する当事者意識ではないでしょうか。

■住民への期待【社会を丸ごと引き受ける同士】
以下に紹介するのは、これから次代を担っていく若い世代に対し、現阿久根市長がストレートに期待として投げかけている祝辞の抜粋です
鶴翔高校祝辞より

卒業おめでとうございます。
~中略~
 これから社会に出る皆さんは、新参者です。このような考え方で勝ち組になることは非常に難しい。ならばどうするか?
小さな仲間作りで自分たちだけの身を立てようとするのではなく、一人ひとりが「社会を丸ごと引き受ける」と言う自覚で生きていくことです。この覚悟をすれば他人が言う嘘が分かるようにもなります。「簡単に金儲けが出来る」などの詐欺に騙されることもないでしょう。
日々の努力が社会の為でもあるのを実感する生き方が出来るならば、
お金持ちにならなくても、それなりに充実した、自分を騙さない一生を過ごすことができ、その生き様がそのまま次の世代へのプレゼントにもなると思います。
今日、鶴翔高校を卒業される皆さんが「社会を丸ごとひきうける同志」になってくれることを期待して、はなむけの言葉といたします。

上記の祝辞の中で出てきた「社会を丸ごと引き受ける」とはいったいどういうことなのでしょうか? 🙄
もちろん、一人で社会の全てを把握し、判断することはできません。
だからこそ、自分達で、みんなで、様々な事象に対して、本当にみんなにとって「必要か、否か」を判断していくことが重要なのです
冒頭に紹介した市民からのメールは、市長からの事実の公表を受けて、特権階級に対して「必要か、否か」の判断を下した結果だとも言えます。
この、みんなで「必要か、否か」の判断軸を形成し、その土俵の上で考えることがまさしく「社会を丸ごと引き受けること」だと言えます
そのような「必要か、否か」といった判断軸の土俵はどのように形成されていくのか?を端的に整理しているものを以下に引用します

考えてみれば、つい最近(前世紀)まで、お金の使い道は、物財か解脱と決まっていた。つまり、それらは当然「必要(有益)」なものに決まっていた。だから、殆どの人はそれを『買えるか、買えないか』としか考えず、それが『必要か、必要でないか』などと考えたことも無かった。
~中略~
だが、’00年、私権観念(「お金第一」「自分第一」で社会のことなど関係ないという観念)が崩壊し、一気に社会不全が膨らむと、遂に「豊かさ追求」という目標共認も溶解し始める。そして、「物的な豊かさ」という目標が溶け崩れて、初めて『必要か、必要でないか』という真っ当な判断基準が潜在思念の奥から姿を現してきた。
しかも、いったん『必要かどうか』という真っ当な判断基準が芽生えるや否や、面白いことに「豊かさ(=快美充足)」だけではなく、「遊興・芸能(=解脱充足)」も同じように『必要か否か』という判断の土俵上に載せられることになる。
~中略~
つまり、『必要かどうか』という真っ当な判断の土俵が出来た以上、「物的商品」も「遊興・芸能」も、「新しい認識」も、全てが同じ土俵上で判断されることになる。この土俵こそ、人々の真っ当な共認が形成してゆく新しい場=演場の基礎構造に他ならない。
だから、『必要か、必要でないか』という認識は、決定的な一つの答えとなる。この認識が伝播するのに応じて、真っ当な判断の土俵が確立されてゆく。そして、真っ当な土俵が出来さえすれば、そこでの必要判断が物や芸能から認識へと、次第にシフトしてゆくことは、云うまでもない。
『認識形成の場』は、この土俵の上に(新しい演場の開拓者として)登場することになる。

阿久根の事例について、マスコミは議会との対立や、専決処分による独裁政治だというように一面を取り上げておもしろおかしく煽りたてています。しかし、阿久根市における事例で注目すべきは、「事実の開示」→「共認」による、「必要か否かの判断軸の土俵」が形成されつつあることではないでしょうか。これは一般の人々が「自分第一」から、「みんな第一」へと転換し、当事者として社会収束へと向かいつつある、最先端事例と見ることができます

時代の転換に伴い、私権強者として幅を利かせてきた特権階級の暴走→失態は今後ますますひどくなるに違いありません。それに伴って秩序崩壊の危機感はより深くなり、庶民による当事者意識の萌芽→社会統合気運の高まりは今後至るところで顕在化し、大きな流れを形成していくのではないでしょうか?

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