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もう、プロには期待できない~大衆による直接社会統合の可能性 4 市場拡大に拘る菅内閣~

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新たに始まった菅政権。確かに短命政権ではあっては欲しくないものです。が、期待も虚しく、この選挙を前にして消費税増税の話を持ち出してくるなど、自ら支持率を下げるような行いをしているんです。しかも、声高らかに「海外進出」と農業や福祉への「保証金」などを政策として謳っています。そこまでして、市場の拡大が重要なのか?と思わせるほどに・・・
 
菅内閣が打ち出している政策も真っ当なものなのかを検証する上で、言われているグローバル化=市場拡大の可能性を見ていきましょう。
 
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では、まず市場の成立過程から、その原動力統合能力を見て、現在の菅内閣の政策の是非を問うていきたいと思います。
 
市場の成立過程

交換取引は、武力闘争(およびその帰結たる身分制度による私権拡大の封鎖)からの抜け道として登場した。それどころか、最初に交換関係が登場した動機は、額に汗して働くよりも、(相手にこの品物が大きな可能性を与えてくれると信じ込ませることさえ出来れば)交換によって得る益の方が、ずっと大きいからである。

 
市場とは武力闘争における序列原理の抜け道として登場している。そんな抜け道ではあるが、菅内閣をはじめ誰もが収束するほどの原動力を持っている。その原動力とは何か?
 
市場の原動力

実際、古代市場も、女の性的商品価値を一層高めてくれそうな宝石や絹や毛皮を主要な交易品として、拡大していった。(なお、近世→近代も、呉服や毛織物やレースが起点になる。)それに対して日常の主食品(米や麦やイモなど)に対しては、その様な幻想的な可能性など描き様がない。
 
この幻想共認(幻想への可能性収束)によって作り出された、市場商品の価格と一般農産物の価格との価格格差こそ、市場拡大のテコとも原動力ともなった市場の秘密の仕組みである。
 
性幻想を高める為の毛織物やレースをはじめとして、私権圧力下の解脱回路(主にドーパミン回路)が生み出す快美幻想がはびこり、生活全般に亙って快美(快適さや便利さ)を求める快美欠乏が上昇してゆくにつれて、その幻想共認が作り出す価格格差をテコとする市場はどんどん繁殖してゆく。
そして次には、その生産効率を上げる為の科学技術が発達してゆき、市場の拡大競争が生み出した侵略戦争→軍備強化への期待圧力が、その科学技術を更に大きく発展させてゆく。
この科学技術の発達による快美充足の可能性(快適さ利便さ)の実現こそ、中後期の市場拡大の原動力である。

 
結局は幻想共認を図り甘い汁が吸えることが原動力となっているようです。そんな市場に可能性を見出しても何も無い。ましてや内閣という統合機関が市場を使い統合を図ろうとするなど、ちゃんちゃらおかしいのです。
 
市場には統合機能など持ち得ない

「身分」も「お金」も、評価指標として夫々の社会で固く共認されており、その共認圧力が夫々の社会での最大の圧力源=活力源にもなっている。しかし、この両者には大きな違いがある。
その違いは、根本的には、身分を作り出す国家が闘争圧力に対応した「集団(統合)適応」の存在であるのに対して、お金を作り出す市場は闘争圧力からの抜け道としての「共生(取引)適応」の存在である点に由来している。
身分(という評価指標)は、肉体的に備わった統合原理である力の序列共認を下敷きにしており、それが上から下まで貫通する身分という観念に置換された事によって、社会全体を統合する機能を持ち得ている。
それに対してお金は、私的な交換の場での評価指標にすぎず、交換の行われる局部・局部では統合機能を持ち得ても、社会全体を統合する機能は持ち合わせていない。
 
「闘争(能力)適応」や「集団(統合)適応」なら、その最先端の闘争機能や統合機能は、闘争圧力に対応する最先端機能であるが故に、全体を収束⇒統合することが出来る。しかし、もともと市場は、「共生(取引)適応」の存在である。共生(取引)適応は、あくまでも闘争圧力からの抜け道に過ぎず、共生適応の最先端機能たる取引⇒お金では、(闘争圧力が消えて無くなった訳ではないので)闘争圧力に対応することが出来ない。つまり、共生(取引)適応はあくまで抜け道機能しか生み出さないのであって、それは闘争圧力に対する真の最先端機能ではない。従って、全体を収束⇒統合することはできない。
これが、市場が社会を統合する機能を持ち得ない、究極の理由である。

 
以上から、市場には可能性が全くないことがわかりました。しかし、菅内閣は市場に可能性を見出しています。それは、管内閣の面々は個人主義や近代思想に育てられドップリと浸かった人たちばかりです。つまり、アメリカそのものと言って良いでしょう。だからこそ、普通に考えるだけで、当たり前のように市場拡大に舵が切れれていくのです。市場拡大以外の可能性など毛の先ほども考えていない。いや、菅内閣の面々には考える事すら愚問なのでしょう。
 
この反民族政権は、今世間を賑している口蹄疫で殺処分される牛たちに腹いっぱいになるまで餌を与え、更にはお別れ会を開いて別れを惜しむ心や、7年ぶりに地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」に歓喜の声を上げて迎え入れ、大気圏突入の際は向きを変え地球を映し「死ぬかもしれない最後の眺めは地球だ。」と機械が人格を持ったかのように演出する。そんな“万物に対する同化姿勢”を持つ日本人の民族性を国家ごと破壊しようとする行いなのです。
 
そんな管内閣に国を任せていいものなのでしょうか?
では、次回は市場の限界をもう一つの視点からみていきたいと思います。
参照
超国家・超市場論9 私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場であるhttp://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=30709
超国家・超市場論11 市場は社会を統合する機能を持たないhttp://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=31251
これまでのバックナンバー
①もう、プロには期待できない~大衆による直接社会統合の可能性 1 プロローグ(http://blog.trend-review.net/blog/2010/06/001647.html)
②もう、プロには期待できない~大衆による直接社会統合の可能性 2 今、人類が直面している課題とその基本的答え(http://blog.trend-review.net/blog/2010/06/001655.html)
③もう、プロには期待できない~大衆による直接社会統合の可能性 3 力の序列共認とその限界(http://blog.trend-review.net/blog/2010/06/001661.html)
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