
木曜日、学士会館で目覚めて、ぼんやり窓の外を見ながら朝ごはん。
「学士会館朝ごはん、なう。」とtweetすると、見知らぬ読者から「いま白山通りを歩いています」というreplyが入る
以上内田樹氏のブログ [1]から引用
この文章はある日のネットを利用している時の風景です。
ここで出てくるtwitterとは一種のコミュニティサイト。ミクシィなどと違う点は友達とメールをしたりする感覚により近いと言えそうです。
最近、こういったネットで色々な変化や人々の意識の変化が現れているようです。
今回は、グーグルのビジネスモデルから見るネットの世界が、今後どうなっていくのかorどういうものが必要になっていくのか、追求していきたいと思います。
なぜグーグルのビジネスモデルから見るのかというと。。。
いつも応援ありがとうございます。
まずグーグルのビジネスモデルとはいったいどういうものなのでしょうか?
以下ウィキペディア [2]からの引用
米国Googleは人類が使う全ての情報を集め整理すると言う壮大な目的をもって設立された。独自開発したプログラムが、世界中のウェブサイトを巡回して情報を集め、検索用の索引を作り続けている。約30万台のコンピュータが稼動中といわれる。検索結果の表示画面や提携したウェブサイト上に広告を載せることで、収益の大部分をあげている。
つまり検索して得られた情報は全て無料であり、同じスペースに存在する広告から利益を得る、というのがグーグルのビジネスモデルのようです。
情報が全て無料である、というのがポイント。
誰でも情報が作り出せ引き出せる。情報がみんなで共有しやすくなるからこそ、ミクシィやtwitterのようなもが生み出され、人々のコミュニケーションや認識のやりとりがネットで広がっているのでしょう。
つまり、グーグルのビジネスモデルは次代の社会=共認社会(みんな発)での課題突破や、新しい認識、理論を創造する上で必要な情報=認識はみんなのものである、という大切な要素を持っているということです。
今後のネット世界も当然、共認の世界に移行していくのですからこの要素を軸に今後のネット世界を考えていくべきでしょう。
ただし、ここで問題になってくるものがあります。それが「著作権」の問題です。
著作権(ちょさくけん)とは、言語、音楽、絵画、建築、図形、映画、写真、コンピュータプログラムなどの表現形式によって自らの思想・感情を創作的に表現した者に認められる、それらの創作物の利用を支配することを目的とする権利をいう。著作権は特許権や商標権にならぶ知的財産権の一つとして位置づけられている。
以上ウィキペディア [2]引用
要するに自分の創造物に対して私有を認め、他人がそれを勝手に利用することを禁じた法律であり、権利としての概念なのです。
グーグルでもこれに絡んだ問題はありますし、ウィキペディアなどにも著作権に関する注意要項が存在します。また身近な問題として、大学の入試問題から過去問集への転載が著作者の許可が下りないためにできなくなったりすることがあります。
ビジネスというのは本質的に「ものがぐるぐるまわること」である。「もの」の流通を加速する要素には「磁力」のごときものがあり、それを中心にビジネスは展開する。逆に、流れを阻止する要素があれば、ビジネスはそこから離れていく。「退蔵」とか「私物化」とか「抱え込み」というふるまいは、それが短期的にはどれほそ有利に見えても、長期的スパンをとればビジネスとして絶対に失敗する。
著作権はそれがあると「著作物の『ぐるぐる回り』がよくなる」という条件でのみ存在価値があり、それがあるせいで「著作物の通りが悪くなる」時に歴史的意義を失う。
以上内田樹氏のブログ [3]から引用
ビジネスの観点から見ても情報は私有化よりも公共化した方がよいようです。しかしこれは私たち大衆から見ても重要なことです。
そもそも人類は先祖返りをしてから、逆境の極みでした。その時の人類は集団を形成し洞窟で生活していましたが、それでも生きるためには危険が伴います。その時、ここらへんは獣がいっぱいいるぞ、とかこういう風にしたら可能性があるかも、という「情報」はみんなで共有しなければいけません。情報は実体がありませんし、だからこそ共有しやすかった。
情報の本質は「みんなのもの」ということです。

けれど、私権時代に入れば何もかもが「誰かのもの」となります。女とか宝石とか地位ですら。こういうものでも、すでにみんなのもの、という意識潮流の変化が見られますが、著作権の概念から分かるとおり、未だに法律では「情報」の私有化が認められています。
共認社会とはみんな発。みんなが必要とする情報=認識はみんなが生み出す。それを著作権などで拘束してしまうことは何の意味もないことだと言えるでしょう。
課題突破や認識を生産するのにこのような状況ではそれができない=可能性収束ができないということになります。事実、情報をみんなのものと考えず、一部だけの人間が情報を「秘密」として留めておくことを私権企業は今まで続けてきて、やっとその考え方の欠陥がニュースを通して伝わってきます。トヨタ問題はその典型と言えるでしょう。
これからは、著作権がなくとも、良いものだったしお金を払おうという、「評価」としての代価が「お金を払う」という行為の中身になっていくべきです。
みんな発なのだから、みんなのためにみんなは認識を生産します。それに対して評価を周りが出して、次の生産につなげる。これが次代における情報の流れとなるでしょう。
となると、そういったみんなが生産する認識をどう統合するか?という必要性が生じます。ばらばらの問題意識で生産すればやがて、認識の生産の意義が崩壊し、これまた情報の流れが止まってしまうからです。
この統合には二つの軸が考えられます。
人々は古い考えは求めていない。新しい社会に進むため、構造を理解し、新しい認識や理論を構築しなければいけない。つまり構造認識統合の場が必要になる。
そして、みんなの必要としている情報=認識を検索する場の統合も必要。
つまり構造認識統合システムand情報検索システムの二つがネットを統合する上で必要なのではないでしょうか?

この統合された場で、みんな発の認識生産をして、それに対して評価をしていくということは遊びではなくもはや仕事であり、評価の中身をどのようなもにしていくのか(例えばお金とかポイント制にするとか)というのが、課題になるでしょう。