2010年03月18日

戦前から世界情勢が読めず、隠蔽体質の外務省

『新ベンチャー革命』2010年3月10日「日米外交の秘密暴露:極東米軍大リストラの前触れか」 で述べられているように、政府・外務省が繰り返してきた外交問題の隠蔽が今、明らかにされようとしている。
しかし、外務省の隠蔽体質は戦後始まったものではなく、戦前から続いているものらしい。
その一例が、戦前の外交の迷走ぶりを代表する、日独伊三国同盟の締結である。
『戦争を語り継ぐ』「日本外交の栄光と挫折~3.昭和の松岡洋介…日独伊三国同盟締結の誤算」からの引用。
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◆日独防共協定と独ソ不可侵への困惑
1933年1月、ドイツでは、ヒトラー率いるナチスが政権を握る。独裁体制を築いたヒトラーは、国際連盟を脱退して、軍備拡張を宣言する。共に、国際的に孤立した日本とドイツは、急速に接近し、1936年11月、日独防共協定を結ぶ。この協定の主な目的は、ソ連に対抗することだった。ヒトラーは、当初からソ連を仮想敵国とし、日本もまた、ソ連を大きな脅威と考えていた。翌年、イタリアもこの協定に参加、日独伊防共協定が結ばれる。
1937年7月、中国北京郊外で、日本軍と中国軍が衝突、日中戦争がはじまる。日本は、中国各地に進攻、これに対しアメリカは、中国を援助し日米関係は悪化していく。
1939年1月、ドイツから日本に、新たな提案がもたらされた。日独伊防共協定を発展させ、強固な同盟にするというものである。内容は、「三国の中の一国が、今後三国以外のある国から攻撃された場合、軍事的に援助することを義務付ける」。それは、日本が、ソ連だけでなく、イギリスやフランスそしてアメリカをも、公然と敵視することを意味する。「はたして同盟を結ぶべきか否か」日本政府は、何回となく会議を開くが、結論が出なかった。そのさなか、8月23日、衝撃的な出来事が起こる。
ドイツが、突如ソ連と接近し、互いの勢力圏を侵さないとする、独ソ不可侵条約を結んだのである。ちょうどその頃日本軍は、ソ連軍と満州国国境を巡って、ノモンハンで衝突していた。そのソ連軍が、こともあろうにドイツと条約を結ぶ。それは、これまでソ連を敵視して進められてきた、日本とドイツとの同盟関係を、根底から覆すものだった。8月28日、時の平沼総理は、「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」として、内閣を総辞職する。日本の外交は、完全に行き詰まってしまったのである。
1939年9月1日、ドイツはポーランドに進攻、イギリス、フランスはドイツに宣戦し、第2次世界大戦が始まった。9月17日、ソ連もまたポーランドに進攻、ドイツとソ連は、東西からポーランドを分割する。

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独ソ不可侵条約の調印(後列の右から2人目はスターリン)
写真はこちらからお借りしました。

◆三国同盟にソ連を加える努力
1940年、ドイツは、オランダ、フランスなど西ヨーロッパの各国を屈服させ、パリを占領する。このドイツの快進撃を受けて、日本国内では、陸軍を中心にアメリカとの戦争を覚悟してでも、再びドイツとの同盟を強化し、立ち消えになった三国同盟を見直すべきだという機運が高まる。
7月17日、近衛文麿が総理大臣として組閣の命を受けた。近衛は、新内閣の外務大臣として、松岡洋右を抜擢する。新内閣の外交方針の話し合いの席上、松岡は、「まず、ドイツとイタリアとの関係を強化すべきだ。アメリカに対しては、無用の衝突を避けるよう努力する。しかし、アメリカが、力をもって干渉してきた場合には、断固これを排除する」と主張した。さらに、「日本がこれまで敵対してきたソ連をも、三国同盟に組み込みたい。ドイツとソ連はすでに不可侵条約を結んでいる。日本が、さらにソ連と協定を結べば、相手が4国では、アメリカも手出しができないはずだ」これが、松岡の思惑だった。
7月22日、近衛内閣が発足。松岡は、次の約束を取り付けた。「外交に関しては、すべて自分に一任してほしい」と。松岡は、外務省の大改革を行う。大使や公使など、40人を更迭するという空前の人事異動だった。三国同盟の障害となる、外務省の親アメリカ、イギリス派を一掃したと報じられた。
同盟の交渉を再開したいという松岡の呼びかけで、ドイツからスターマー特使が来日。9月9日夜、極秘の交渉が行われた。当時、ドイツの外務大臣だったリッペンドロップも、ソ連を加えた4国同盟の構想を抱いていた。松岡の気がかりは、目論見どおり、ソ連と協定を結べるかどうかだった。スターマーは、次のように約束した。「ドイツは、三国同盟締結後、日本とソ連とを結ぶ、誠実な仲介者となる用意がある」と。
松岡は、ドイツが、やがてイギリスを落とし、ヨーロッパ全体を手に入れることを予想していた。イギリスは、そうはいかなかった。

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日独伊三国軍事同盟調印式
写真はこちらからお借りしました。

◆三国同盟、日ソ中立条約の締結と日米関係の悪化
1940年9月19日、宮中で、三国同盟締結についての御前会議が行われた。席上、原枢密院議長は、次のような危ぐを述べた。「この条約の発表によって日本の態度が明白になれば、アメリカは日本に対して経済圧迫を加え、石油、鉄を禁輸、長期に渡って日本を疲弊せしめ、戦争に耐えられないように謀るものと思われる」。松岡は答えた「今やアメリカの対日感情は、極端に悪化していて、わずかの機嫌取りくらいでは、回復するものではない。ただ、我々の毅然とした態度だけが、戦争を避け締めうるであろう」と。松岡の進めてきた日独伊三国同盟案は、ついに了承されたのである。
1940年9月27日、ベルリンのヒトラー総統官邸で、日独伊三国同盟の調印式が行われた。ドイツ、リッペンドロップ外務大臣、イタリヤ、チアリ外務大臣、そして日本の来栖ドイツ大使が次々とサインする。ついに、日独伊三国同盟が締結された。直ちに、東京の外務大臣官邸に伝えられた。松岡は、ドイツ大使、イタリヤ大使そして日本政府の要人を招いて、盛大な祝賀会を催した。
しかし、恐れていたことが起こった。原議長の危ぐのとおり、三国同盟に対し、アメリカが厳しい経済制裁で日本に答えた。ルーズベルト大統領は、鉄鋼やくず鉄など、日本にとって欠かせない原材料の輸出を禁止。日本とアメリカの対立は、決定的なものになった。
1941年3月26日、松岡は、ドイツベルリンを訪れる。松岡は、ヒトラーを訪問、日本とソ連との仲立ちを、ドイツが努めるという約束の実行を迫った。ところがドイツは、交渉の仲介を拒絶したのである。この時ヒトラーは、ソ連攻撃を決意し、ひそかにその準備をすすめていた。
4月7日、松岡は、モスクワに乗り込み、友好的な条約を結ぶための交渉を始める。1941年4月13日、日ソ中立条約が結ばれた。日独伊三国同盟にソ連を協力させる松岡の構想は、大きな前進を遂げたかに見えた。その幻想はあえなく敗れた。わずか2ヵ月後、ドイツは、突如ソ連に進攻、ソ連を加えた4国で、アメリカに対抗しようとする松岡の構想は崩壊した。
松岡は、政府内で信望を失う。7月16日、近衛内閣は、アメリカに対し、強硬姿勢をとりつづける松岡外務大臣を除くため、一端総辞職する。近衛は、アメリカとの交渉継続を図ろうとしていた。11月26日、アメリカは、日本に対し、「中国からの全面撤退や三国同盟の否認など」を要求、日米両国の妥協は絶望的となった。
1941年12月8日、太平洋上の空母からとびたった日本軍攻撃隊は、ハワイ真珠湾を急襲、アメリカとの戦争が始まった。その日、開戦を知った松岡は、友人にこう語ったという。「三国同盟の締結は、僕一生の不覚だったことを、いまさらながら痛感する。これを思うと、死んでも死にきれない」と。

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独ソ戦~スターリングラード爆撃
写真はこちらからお借りしました。
1940年夏のドイツは、イギリス本土へ連日の爆撃を加え屈服させようとした。しかし、レーダーの開発配備を世界でただ一国とげていたイギリスは空軍によってしぶとく抵抗し、1940年秋には、ドイツのイギリス本土制圧戦は失敗に終わったことは否定できない事実となっていた。その後、ドイツの転落が誰の目にも明らかになる。
ところが、日本は多くの軍人をヨーロッパに駐在させながら、親独主義に毒されてドイツの行き詰まりを把握できなかった。松岡外相もドイツの電撃戦の成功という残像に支配され、ドイツが転落を開始してもなお、依然ドイツの対英勝利が近いと信じて、1940年9月27日に日独伊三国同盟を締結した。転落するドイツという「泥舟に乗った」わけである。
松岡の目論みは日独伊三国同盟にソ連を取り込むというものであり、それは独ソが友好であることを前提としていた。その目論見は1941年の独ソ開戦によって崩壊するのだが、松岡はドイツ訪問時に独リッベントロップ外相から「独ソ関係は今後どうなるか分からず、独ソ衝突などありえないなどと日本政府には伝えないように」と言われ、ヒトラーも独ソ国境に150個師団を展開したことを明かすなど、それとなくドイツ側が独ソ戦を仄めかしていた。にも関わらず、松岡はこれらのことを閣議で報告しなかったばかりか、独ソ開戦について否定する発言を繰り返していた。
当時の日本の外交の問題は明らかであろう。
まず、ドイツの転落という世界情勢を全く読めず、「ドイツと組んでいれば大丈夫」と思考停止したままであったこと。これは現代の外務官僚がアメリカの凋落という世界情勢を読めず、従米路線から一歩も出ないのと同じである。そして、独ソ開戦の情報を得ながらも、それを隠蔽したこと。
この思考停止と隠蔽体質。この問題は現代の外務官僚に至っても何ら変わっていない。
(本郷猛)
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List    投稿者 hongou | 2010-03-18 | Posted in 04.日本の政治構造10 Comments » 

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