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アメリカ農業を真似した、戦後農政の決定的誤り

『るいネット』に「日本の官僚は優秀でなく運が良かっただけ」 [1]「高度経済成長期は、目標が明らかな時代なので優秀でなくても務まった」という投稿があるが、 その高度経済成長の最中1961年、農業生産性の引き上げと農家所得の増大を謳った「農業基本法」が制定された。この法律によって農業の構造改善政策や大型農機具の投入による日本農業の近代化が進められた。ここで言う農業の近代化とは、アメリカの機械化された大規模農業を目指すことだった。
しかし、農業の大規模化・機械化という農水省官僚の打ち出した方針は本当に正しかったのか?
その後衰退の一途を辿る日本の農業の姿を見る限り、何か根本的な誤りがあったと考えるべきだろう。
いつも応援ありがとうございます。


『代替案』「なぜ小規模自作農家を守らねばならないのか?②」 [2]からの引用。
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フィリピン・ルソン島のタルラック州北部の農村の田植え前の耕起の様子
写真も「代替案」さん [2]からお借りしました。

経済学主流派のディシプリンで頭が凝り固まった人々がこれらの写真を見れば、おそらく「遅れてる~」とか「なんて非効率で前近代的なんだろう!」ってな感想をもらし、「圃場整備を行い、規模を拡大し、農業機械を導入し、生産性をあげるべきだ」と考えることでしょう。
しかし、これはあくまでも経済学のモノサシで計った「効率性」基準による判断です。熱力学のモノサシや生態学のモノサシで計ると全く違った回答が出てきます。
 
農業生産の投入量と産出量を貨幣換算した上での経済学的な尺度でいえば、一つの農場が平均200haといった規模のアメリカの大規模農業は「効率的」で「生産性が高い」ということになるのです。しかし、熱学的な尺度による「エネルギー効率性」を見ると、アメリカ農業は世界でも最も「非効率」で、最も「生産性の悪い」、世界最悪の農業ということになります。
現在、WTOの農業自由化によって、途上国で広く展開されている畜力農業が「非効率」のレッテルを貼られて淘汰されています。途上国は穀物自給率を低下させるとともに、米国などからの穀物輸入量を増やしています。途上国の側は、小規模農家の穀物生産が淘汰され、代わって前の記事の写真にあるようにアブラヤシ、コーヒー、ゴム、綿花、バナナ、コショウなどなど、輸出向け商品作物のモノカルチャー経営がますます興隆しているのです。競ってそれらを生産すればするほど供給過剰になって国際価格は下落するので、自給率を下げながら輸出作物を伸ばそうと頑張れば頑張るほど農業部門の貿易収支は悪化していき、米国で旱魃などが発生した場合の飢餓の危険性を高めるわけです。。
熱力学的なメガネで見れば、エネルギー効率の非常に優れた畜力農業が、エネルギー効率が最悪の米国型機械農業に侵食され、地球生態系の破局と石油資源の枯渇を早めているだけということになるのです。
「熱力学の観点にたつと、近代的農業は歴史上もっとも生産効率の悪い農業形態ということになる。つまり、近代農業が一定のエネルギー量を産出するために投入するエネルギー量はこれまでのどの時代よりも多い。
つまり、人力と畜力のみに依存していた農業はエネルギー投入1に対して10の産出をもたらしますが、米国農業は輸送や加工まで含めればエネルギー投入1に対して0.1の産出しかもたらさないわけです。米国型農業は、エネルギー収支で見れば、とてつもなく「非効率」で「生産性が悪い」のです。人間の労働力を省力化する代わりに、全てを石油ガブ飲みの機械で代替してきた結果です。
石油の値段が安い限りにおいて、米国型農業が貨幣的な収支では「効率的」とされるわけですが、ピーク・オイルを迎えると言われる昨今にあっては、経済的な観点での「効率性」もいつまで続くか定かではありません。石油の値段が上昇を続ければ、遠からず人力・畜力農業の方が経済的にも効率的になる日がやってくるのです。
生態学のメガネで見ても米国型農業は破綻しているといえます。フィリピンの写真にあるように小農経営の農地の境界には必ず林や茂みがあり、そこに鳥や昆虫などが多く生息しているので、それらは農地に害虫が発生した際にそれを食べる天敵として機能します。
重機を導入し易くするために、米国型農業はそうした林や茂みを全て除去したので、天敵がいなくなりました。その結果、農薬散布量が増え、さらに害虫が農薬耐性を持つようになるので、農薬散布量をさらに増やす・・・・・というイタチごっこに帰結したのです。このイタチごっこの最終形態が、毒素を分泌する殺虫成分を作物の遺伝子に埋め込んで害虫を駆除するという、殺虫性遺伝子組み換え作物の登場なのでした。

市場原理においては、大規模な農業形態によって生産されるローコストな農作物は競争力がある。しかし、これは廉価な石油がふんだんに使えるということが前提条件である。しかも、自然のサイクルから逸脱した様式なので、自然環境を破壊してゆく。
『月刊現代農業』“意見異見”「兼業農家の必然性―― 世界に冠たる担い手システム」 [3](農林中金総合研究所蔦谷栄一氏)からの引用。

農業の世界でもアメリカモデルを暗黙の前提にして近代化が進められてきた。すなわち、戦後、大農機具導入と農薬化学肥料使用によって大規模化・専業化・生産性向上が推進されてきた。だが結果的には、1960年度に一戸当たり0.66haであった平均経営面積は、2002年度で1.88haと2.8倍に増えるにとどまった。また農家の専兼比率をみると、60年度に専業農家34.3%、第1種兼業農家33.6%、第2種兼業農家32.1%であったものが、02年度では専業農家20.1%、第1種兼業農家13.1%、第2種兼業農家66.8%となっている。大規模化・専業化の歩みは遅々としたものであった。このため農業は日本の産業の中で“劣等生”と刻印され、兼業農家はわが国農業の大規模化・近代化を阻害する張本人だと揶揄されてきた。
こうしたなかで、実質的に手つかずのままきた構造政策の柱である担い手対策が、品目横断的経営安定対策として実行に移されている。まさに小泉構造改革の農業版である。多くの兼業農家の存在が大規模化・専業化を阻害しているとの議論には、「百姓を馬鹿にするのもいい加減にしろ」と声を荒らげざるをえない。
専兼比率とは若干異なるが、作物・畜種別の主業農家比率なるものをご覧願いたい。これによれば02年、米では主業農家比率37%、準主業農家27%、副業的農家36%となっているのに対して、米以外での主業農家比率は、野菜83%、果樹68%、花き86%、生乳96%、肉用牛93%、豚92%となっている。これらの数値は、専業化・規模拡大のメリットのある作物・畜種については、日本でもすでに専業化・規模拡大が進行していることを雄弁に物語っている。
逆にいえば、米では専業化・規模拡大のメリットが得られがたいがゆえに専業化・規模拡大がすすまなかったと理解するのが素直であろう。「百姓の知恵」が兼業化を志向してきたともいえる。現に、大規模専業米生産農家ほど所得確保に苦労するという「農政の矛盾」を露呈してきた。水田稲作が装置産業化し、土日中心の農作業で生産対応が十分可能になったことが大きいとはいえ、農外収入によって生活費を確保し、赤字覚悟でも米を生産することによって、兼業農家は水田を守り、地域を守り、お墓を守ってきたのである。それなのに、所詮、国際競争力を獲得できるはずもない規模の4ha以上の認定農業者か20ha以上の集落営農を担い手とし、これに絞って支援しようというのである。
国民一人当たりの米消費量が減少を続け、人口は減少に転じ、現状約4割もの生産調整がさらなる強化を余儀なくされるなかでの規模拡大は、たいへんなリスクを農家に強要することになる。むしろ国際競争力云々ではなく、耕作放棄地等が増加するなかで農地を集積してくれる人を支えていくというのが、実態に即した整理なのである。できるだけ兼業農家にも頑張ってもらい、地域農業を守っていくなかで、作付けできない農地を主たる担い手が助成を得ながら集積をすすめ、農地として維持していくことが求められているといえる。
ここで、とくに2つのことを強調しておきたい。第一に、現状は絶対的な担い手不足の状況にあるのであって、そもそも「小農切り捨て」などはもってのほかであるということ。第二に、多様な担い手によって地域農業を守っていくという前提を抜きにした議論は、農村・共同体のつながりを弱体化させ、農業生産の停滞ばかりか暮らしの貧困化をもたらしかねないということである。兼業農家にできるだけ頑張ってもらい、さらに退職後は企業等での経験も生かし、専業農家として地域のリーダーとなって活躍してもらうことが、現実的には最大の担い手対策であろう。

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『わら一本の革命』福岡正信
画像はこちら [4]からお借りしました。
『るいネット』「『わら一本の革命』 ③原点を忘れた日本の農政」 [5]からの引用。

元々日本は国民皆農に近い状態が続いていた。現在の農政はアメリカ型の大規模少数農家を理想としているようだが、それが答えとは確かに思えない。
『わら一本の革命』 福岡正信 より抜粋引用
・原点を忘れた日本の農政
それにまた、一般の考えでは、少数の人間で能率を上げて大量に作れば、それが農業の発達だと思っているから、終戦直後は人口の7、8割が農民だったのをですね、4,5割にし、さらに3割、2割にし、現在は、2割をわって、17%くらいですかね。さらに1割、10%以下に下げよ、欧米並みに4%まで下げよというのが、農林省の目的なんです。
私は、実は国民皆農というのが理想だと思っている。全国民を百姓にする。日本の農地はねちょうど面積が一人当たり一反ずつあるんですよ。どの人にも一反ずつもたす。5人の家族であれば5反持てるわけです。昔の5反百姓復活です。5反までいかなくても、1反で、家建てて野菜作って米作れれば5~6人の家族が食えるんです。自然農法で日曜日のレジャーとして農作して生活の基盤を作っておいて、そして後は好きなことをおやりなさい、というのが私の提案なんです。
玄米や麦飯がいやという人には、日本で最も作りやすい裸麦で作った麦飯・パンもよいでしょう。これが最も楽に生き、国土を楽にする一番手近な方法だと思います。現在の農政というのは、それと全く反対なんです。数を減らして、少数の者に作らそう、アメリカ式にしようというのが、目標なんです。しかし、これは能率が上がったというのとは、ちがうんですよ。(P125)

以上から、明らかだろう。
農水省の打ち出した農業近代化は、アメリカ農業を(その功罪や日本の国情については何も考えずに)真似しただけにすぎない。これは、(アメリカの大規模農業という)敷かれたレールを効率よく走る官僚思考の産物そのものだ。そして、農業人口を減らすべく、農民たちに農業を辞めることを推奨してきたのである。その象徴が減反政策である。その結果、農業の担い手がいなくなり、日本の農業基盤はガタガタにされてしまった。戦後農政はこのように決定的誤りを刻印されたものだったのだ。
(本郷猛)
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