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法制度をどう改造するか? ~司法官僚による裁判官支配~

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本シリーズの記事「裁判官はなぜ誤るのか [1]」で、裁判官とは、現実の圧力から隔離された存在であり、それゆえに現実とズレた判断に至る問題が指摘された。
 
現実の圧力から隔離される一方で、「ヒラメ裁判官」という言葉があるように、“上”の意向を気にする裁判官が少なくない。
では、その裁判官たちが気にする“上”とは何なのか?


それは、我々がメディア等でよく見聞きする「裁判部門」とは別の、裁判官の人事権や裁判所の予算決定などの「司法行政部門」を握る「最高裁判所事務総局」と、その幹部である「司法官僚」たちである。
 
本記事では、「司法官僚 裁判所の権力者たち(新藤宗幸著)」を参考に、事務総局の設立・機能から司法官僚と言う存在、それらによる司法支配の問題について考えていく。
 
※以降の「■」印の項は上述の資料をベースに記述
 
■最高裁判所事務総局の設立
 
戦後の1947年、最高裁判所が発足した当時に司法行政を担ったのは、事務総長-事務次長以下の7課(秘書課・人事課・会計課・渉外課・民事課・刑事課・法務課)で構成される事務局であった。
 
しかし、司法府とGHQ、内閣、国会との政治的緊張関係が高まり、それらの権力に対抗する為に、1948年12月に、事務局を廃止して、司法行政を拡充した事務総局を設立した。
 
 ※政治的緊張関係の事例
ex.1)平野農林相の公職追放無効判決
1948年1月、片山哲内閣において社会党内対立によって平野農林相が罷免・公職追放されたが、東京地裁が公職追放無効の判決を下したため、GHQや内閣は判決に異議を提起。
 
ex.2)「裁判官の刑事事件不当処理等に関する調査」
1948年5月、参議院司法委員会が国政調査権にもとづいて「裁判官の刑事事件不当処理等に関する調査」を決議し、確定判決の出ていない5事件について調査を開始したため、最高裁は“司法介入”と強く反発。
 
 
■事務総局の機能=権力
 
事務総局の機能は大きくは以下の6つが挙げられる。
 (1)最高裁の規則・規約の作成
 (2)法律・政令の制定に関する法務省との交渉・調整
 (3)裁判官の指名、任命、報酬の決定や裁判官以外の事務官の任命給与決める人事機能
 (4)予算編成機能
 (5)裁判官会同・協議会の実施(制度運用や法令解釈を裁判官に徹底する会議)
 (6)調査研究、資料の収集
 
事務総局が、人事権を掌握し裁判官たちの処遇に関する決定権をもったことで、事務総局の意向が裁判官たちにとって、非常に大きな意味を持つようになっている。
 
また、裁判業務を受け持たずに、調査研究の専門チームを組むことができ、実務に負われる現場の裁判官よりも、“観念的説得力”に富んだ見解を提示することが可能となり、現場裁判官たちに“畏敬の念”を抱かせている。
 
事務総局の設立によって司法行政を掌握することで、司法府は外部からの圧力を排除できる力を持つとともに、司法府内部に対して事務総局が絶大な権限を持つようになったのである。
 
 
■司法行政の独占→司法官僚支配
事務総局がもつ各裁判官に対する絶大な権限を行使している司法官僚とはどのような存在なのだろうか?
 
彼らは、事務総局によって候補生として選別(基準は不透明)され、事務局付という肩書きを得る。
司法官僚の中でも、裁判の分野別に制定された事件局(民事局、刑事局、行政局、家庭局)よりも、機構内部の業務を担う官房系部局(総務局、人事局、経理局)に配属される者たちが中核への道を歩んでいる。
 
官房系部局の要職を経験していく者は、他の者と比べて、司法行政機構外への勤務は少ない。
 
☆事務総長は事件局での要職をほとんど経験せずに就任
☆事務総長経験者はほぼすべてが最高裁判事に就任
 
つまり、司法官僚として“純粋培養”されて、司法行政の中心に座することになる。
 
このように、現実の圧力から完全に隔離されて司法行政機構の内部で純粋培養され、自分たちが司法行政を独占できる状態にあるのが司法官僚である。
これでは、社会をよくしていくことは二の次になり、自分たちの権益をいかに保持・行使するかという歪んだ目的意識ばかりが増大していくのは必然である。
 
 
★司法をどう改造するか?
 
事務総局およびその構成員である司法官僚による司法の独占(≠司法の独立)が、現在の司法の大きな問題点であることは見えてきた。
では、この問題にどう対処していけばよいのだろうか。
 
事務総局を解体することは現実には必要だが、その解体が根本解決になるとは言えない。(∵おそらくいずれ似たような体制が構築される)
 
司法府は事務総局の設立によって司法行政を掌握することで、外部からの圧力を排除できる力を持った。
しかし、司法府内部に対して事務総局が絶大な権限を持ったことで、裁判官たちは内部圧力に強く反応し、結局はまっとうな判断を下すことができていない。
 
そもそも、「外部圧力を排除して独立を保持することでまっとうな判断ができる」という前提が、根本的に間違っているのではないだろうか。
 
裁判官は人間である。人間は集団動物・共認動物であり、同類他者との間で生まれる関係圧力を最大の活力源および羅針盤として生きてきた。
この生命源を遮断することは、自然の摂理に反する行為である。
 
であれば、圧力を除去するのではなく、みんなの評価による圧力を作り出し、その圧力の中に身を置くことで、初めてまともな判断が下せると考えられる。
 
「裁判官はなぜ誤るのか」で提起されていたように、司法の専門家である裁判官は、自身が下した判断に対する評価を庶民に求めることからスタートするべきだろう。
 
そして、あまりにも現実からズレていることが明らかになれば、その事実を受けて、裁判官を専任制ではなく、期間を定めた半専任制への移行を進めていくことが必要となる。
 
もし、半専任制では法体系の理解が困難というのであれば、(専任制を継続するのではなく)法体系の見直しが、今の司法にとって必要な重要課題であると認識すべきだろう。
 
最後まで読んでくれてありがとうございます。
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written by G線上のアリア

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