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社会可能性の直感・・・我々は認識を武器として生きてゆけるか!シリーズ-5~新パラダイムの点検3 可能性or不全の源を対象化し続ける源泉

Posted By bibibi On 2009年12月28日 @ 6:16 AM In 未分類 | 11 Comments

前回の新パレダイムの点検2 [1]では、「生物は本能ではどうすることも出来ない不全に直面した時、新たな充足機能を獲得し、その不全を突破する」ことを紹介しました。
当然ながら人類も、この適応=充足機能(or状態)の獲得というベクトルに貫かれて存在しています。
そこで、今回新パラダイムの点検3 [2]では、「本源収束・社会収束の可能性を見た人類が、適応本能(=だれしもが持っている潜在思念の直感)に導かれて、ついに私権不全を超える新たな充足状態=本源社会(共認社会)の形成に向かおうとする」過程を見ていきたいと思います。
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‘70年に豊かさを実現した後、私権価値は急速に失われていきました。そんな中、人々の潜在思念は何を捉えていたのでしょうか?

考えてみれば、私権社会(or私権の現実)に対する強い否定意識は、本源可能性や社会可能性の直感に基づいている。それは、決して明確な価値観念などではない。個人的な極限状態において、現実否定⇒可能性探索の道を選ばせたものは、状況認識にせよ可能性意識にせよ、殆ど言葉化できない様な深い潜在思念の直感である。そして、今にして思えば、私が否定してきたのは、現実そのものではなく、現実を正当化しようとする言葉(つまり、欺瞞観念)であった様な気がする。

「本能や共認や観念の充足機能があるからこそ、その非充足状態を知覚する機能が必要になった。」これは前回新パラダイムの点検2 [1]で扱った内容です。
このことからも、私権社会(or私権の現実)に対する否定意識は、充足機能に付帯する不全感覚から生じていたと考えられます。しかも充足機能発であるということは、(私権時代における私権の強制圧力のような)よほどの強い外圧が掛っていない限り、現実を直接否定する意識は生じないと考えられます。
したがって四方氏が振り返っているように、「(現実否定→)現実を正当化する言葉(=欺瞞観念)」を否定する、つまり「現実否定」の否定を、潜在思念は充足可能性と直感したのではないでしょうか。
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実際、(本源収束や社会収束の)潜在思念に立脚して、その可能性を実現しようとすれば、対象世界の構造の解明が必要になる。逆に、その可能性にフタをしている欺瞞観念は、全的に解体せざるを得ない。

対象世界の構造の解明が必要ということは、『実現論』の形成過程からも伺えます。
>この書には特筆すべき一つの特色がある。実現論は、現実の市場圧力に晒されながら成長してきた生産体・類(るい)が、30年の歳月を費やして構築したものである。それ故、実現論は徹底した現実直視の姿勢に貫かれており、またそうであるが故に全ゆる固定観念(常識やイデオロギー)からの脱却を促す内容となっている。しかも類はただの企業ではなく共同体(全員参加の合議体)である。だから、実現論は、皆で生産し経営し共同体を建設するという実践と一体になっている。実践の必要の中から皆で追求され、皆に共認されて生み出されてきたものだからこそ、現実離れした学会の権威やドグマ(教条)から逃れて自由に思考することが可能だったとも云えるだろう。『実現論 序章 イ.徹底した現実直視と事実の共認』 [3]

☆可能性を実現しようとし続ける(従って、その壁の源を対象化し続ける)その意識の出所は何か?
●本源収束・社会収束の可能性が開かれた(可能性を見た)以上、その可能性に収束するのは当然である。例えば、社会が人々の意識によって形成されている(従って、変え得るものである)ことが分かった以上、それを対象化するのは、当然である。

四方氏が「開かれた可能性に収束するのは当然」と言い切るその根拠は「生物としての外圧適応」にあります。
>生きとし生けるものは、全て外圧(外部世界)に対する適応態として存在している。例えば本能も、その様な外圧適応態として形成され、積み重ねられてきたものである。また全ての存在は、本能をはじめ無数の構成要素を持っているが、それら全ては外部世界に適応しようとして先端可能性へと収束する、その可能性への収束によって統合されている。また、外部世界が変化して適応できなくなってくると、新たな可能性(DNA塩基の組み替えの可能性)へと収束し、新たな可能性(例えば、新たな配列)の実現によって進化してゆく。従って、歴史的に形成されてきた存在は(=進化を重ねてきた存在は)、生物集団であれ人間集団であれ、全て始原実現体の上に次々と新実現体が積み重ねられた、進化積層体(or 塗り重ね構造体)である。つまり万物は、それ以前に実現された無数の実現体によって構成されており、それらを状況に応じたその時々の可能性への収束によって統合している、多面的な外圧適応態である。
 もちろん人類も、単細胞の時代から今日まで外圧適応態として必要であった全てのDNA配列=諸機能or 諸本能は、今も現在形において(しかも最基底部から上部へと段階的に塗り重ねられて)その全てが作動しているのであって、単細胞や動物たちの摂理を人間とは無関係な摂理と見なす様な価値観は、人類の傲慢であり、かつ大きな誤りである。『実現論 第1部:前史 イ.可能性への収束=統合』 [4]

●開かれた対象世界たる同類圧力(=人々の意識)を対象化し、構造的に解明し、その認識を武器として生きてゆくことは、脱私権時代の人類に開かれた大いなる可能性の実現である。
この(同類圧力を対象とする)認識の追求こそ、私権の追求に代る次代の欠乏の中軸を成すものである。

>サル→人類が共認機能→観念機能を武器に進化してきた動物であり、その生存と進化の前提条件の一つであった物的生存圧力(自然圧力と外敵圧力)⇒物的生存(≒生産)課題をほぼ克服し得たのだとすれば、あるいは少なくとも動物的な生存圧力はもはや主要な活力源たり得ず、従って物的生産はもはや第一義課題たり得ないとしたら、残るのは同類圧力の活力源しかない。人類は、これまで五〇〇万年に亙って自然圧力・外敵圧力だけを対象とし(そして期待・応望の同類圧力を生命源として)、共認機能と観念機能を進化させてきた。そして五五〇〇年前(日本は二〇〇〇年前)、同類闘争圧力が加わるや否や、わずか数千年で、自然圧力・外敵圧力をほぼ克服してしまった。これから先、人類は同類圧力(同類闘争圧力も含む)を主活力源として、共認機能・観念機能を更に進化させてゆくしかない。元々サルは、同類圧力を主活力源として共認機能を進化させてきたのだから、それは基本的には充分に可能である。『実現論 第4部:場の転換 イ.人類500万年のパラダイム転換』 [5]  
現実は同類圧力の場(人々の意識)へと大転換と遂げました。現実は人々の共認によって統合され、現実は共認内容の変化によって変わっていくのです。したがって、現実を変えるには、人々の意識を対象化し、可能性を探り当て、新たな認識を紡ぎ出し、共認形成すればいい。
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[1] 新パレダイムの点検2: http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=23883

[2] 新パラダイムの点検3: http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=23884

[3] 『実現論 序章 イ.徹底した現実直視と事実の共認』: http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=0&t=1

[4] 『実現論 第1部:前史 イ.可能性への収束=統合』: http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=1&t=1

[5] 『実現論 第4部:場の転換 イ.人類500万年のパラダイム転換』: http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=4&t=1

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