期待された民主党に政権が代わったものの、結局、税収が少なく赤字国債を44兆円つぎ込み国家予算確保する事になりそうである。
国債発行反対派も賛成派も政局や短期の景気回復が目的であり、長期的な視点は与野党含めて、誰も示せていない。
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グラフは「とくらBlog [2]」さんよりお借りしました
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これは現在だけの問題ではなく、上記のグラフのように歳出額・国債ともに増加基調という1960年代から続く問題である。
るいネットより
ゴマカシ無間地獄~とりあえずの答えは常に「赤字国債」 [3]
>これは一種の言論界の観念パニックであり、政治家も含めた全国民的なヒステリー状態である。・・何かが起きれば直ぐにどうする、どうするに向う構造、これは答えがせない事の表れであり、本質(本当の原因)を追求されると問題が出ると考えている人たちの隠ぺい工作である。リンク [4]
「偽造マンションはすぐにでも取り壊せ」という論調はまるで阪神・淡路大震災の直後、数々の建物がすぐさま施工者の手によって取り壊されたのと似ていて、田野さんのいうように「隠蔽」の可能性が高いし、武部幹事長の「あんまり騒ぐと景気が悪くなる」発言が批判されるや安部官房長官は「住民救済の支援策を検討」という発言が展開されるという状況も目先の政局運営に埋没し、大局が見えていないという「プロの無能ぶり」を満天下に知らしめるかのような状況にある。そして隠蔽の仕上げはまたしても「国庫出動」であり突き詰めれば「赤字国債」だ。
今にして思えば、「民活路線の失敗=バブル」の後始末は「赤字国債」であった。そして、「官から民へ」の先鞭ともいわれた「建築確認審査の民間開放」の後始末も突き詰めれば「赤字国債」に頼るしかない。そして「改革の本丸=郵政民営化」の辿る先が「バブル再燃→国民資産焦げ付き」→「赤字国債」→「日本の国力(活力)の完全壊滅」であることはもはやみえみえの「アメリカ経済戦略」である。ゴマカシの答えは常に「赤字国債」という無間地獄に雪崩れ込んでいく。そして庶民はもはや「国庫出動→赤字国債」が万能薬ではないことに気付いている。否、それは活力=国力を失わせていく麻薬でしかないことも気付いている。気付かぬは「プロ」ばかりなりである。
事実を追求していけば「アメリカのいいなり」で民活→民営化を進め、目先の景気刺激にばかり邁進し続けて来た「プロの無能さ」が明らかになる。マスコミですら手のひらを返したように「民営化は万能ではない(ここにもまだゴマカシは入っているが)」といい始めた。しかし指導者がごまかしを続けていれば「あいつらに比べれば俺のゴマカシなんて可愛いもんだ」と考える不埒な連中が闊歩するのも無理もないし、(ことを自分課題としてしか捉えられない)住民の要求主義をはねつけることもできない。
しかしそんなゴマカシ無間地獄の中で人々は「事実追求の必要」そしてそのための「アメリカ→官邸→マスコミと対峙する新しい目=みんな共認の視点」の必要に目覚めつつある。
「トラブルは自分課題をみんな課題へ転換させる [5]」は社会レベルでみても確実に進みつつあるのではないだろうか。
日本は1970年代に貧困から脱出し、欲しいモノが次第に無くなって行き、市場は縮小過程に入った。
しかし、その事実に蓋をして、景気回復一辺倒の政策を行い、膨大な国の借金を生み出して、国民の活力は衰弱する一方である。
国民も顕在化している意識の上では、目先の景気回復を肯定して民主党を支持したが、本当の不安(不全)はそんなものでは埋められない将来不安(収束不全)が潜在的に蓄積し、「何かおかしい」「このままではいけない」と感じ始めている。
その中で、政治家や経済人は相変わらず輸出産業・金融にカネをつぎ込み、景気回復を嘯いているが、せいぜいバブルを生み出すだけで、活力再生にはほど遠い。
[6]一方で、日本分化や日本人は意外な事で評価され始めている。
以前から高い技術力や品質は評価が高かったが、日本人しか理解できないだろうと自ら思い込んでいた日本人の精神性を背景にしたアニメ(ジブリ)・映画(おくりびと)や、スシやラーメン等の食文化。
さらには高い品質を生み出した背景にある規範性・勤勉性・集団性などの価値観そのものも、エコ活動や災害救助の場面などで高く評価されつつある。
それら価値観は、日本が過去から持っている縄文的(本源的)な体質から生まれているもので、外国人といえども本来人類であれば心の奥で共感できるはずのものである。
だがそれは今までの蓄積の中で生み出されたものが評価されてきただけで、日本も行くべき方向を見失い喘いでいる。
るいネット「潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束 [7]」より
>95年以降、衰弱し続けてきた私権欠乏は、その後’03年、株式が二番底に向かうのを見て追求する活力も消え失せ、遂に私権欠乏そのものが空中分解してゆく。かくして、人々はもはや私権の追求に収束することができなくなり、永い間社会を統合してきた私権収束→私権統合という統合軸が崩壊してゆく。これは、1800年に亙って私権時代を貫いてきた私権原理の崩壊であった。
こうして、人々はどこにも収束できずに収束不全に陥ってゆく。
[8]本源価値を下敷きに新しい国家、企業(集団)、学校(教育)、家庭(男女関係)のあり方を考え、新しい秩序を構築していく必要がある。
それこそが、外交・経済・福祉・環境の問題を根本的に解決する新しい政治であり、活力再生の新事業である。