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【観念パラダイムの逆転4】 ~実現基盤を摘出できない、現実否定の「構造認識」~

前回のエントリー「観念パラダイムの逆転3 [1]」で『現実=人々の意識』という切り口を紹介したが、今回は現実を構成している意識の中でも、特に下部意識(潜在思念)の対象化の重要性について触れている四方氏の投稿を紹介したい。
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(写真は「ウィキペディア [2]」より
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既成観念批判の焦点は、現実(下部意識)を対象化していないという一点にある。
現実は、人々の本能機能・共認機能および観念機能によって形成されている。中でも、生存圧力(≒貧困の圧力)の強かった私権時代の現実は、その殆どが本能意識や共認意識(注:これらを下部意識と呼ぶことにする)によって形成されており、これら下部意識が現実の基底部を構成している。


私権時代の現実は下部意識によって構成されている。
つまり、まず私権闘争(地位や金を巡る戦い)は本能である性闘争(メスを巡るオス同士の戦い)を下敷きにしている。この私権闘争は性闘争を下敷きにしているため力の原理である最終的に序列原理(弱いものが強いものに従う、力の原理)でしか統合できない。そのため、私権社会はこの力の序列を追共認した身分制度のよって統合されている。これが私権時代の現実の基底部分である。

にも拘らず、私権時代の思想(古代宗教と近代思想)は、その様な現実を否定or捨象してきた。それは、彼ら思想家たちの現実否定意識とそれを正当化した彼らの倒錯観念にとって、現実(その中でもとりわけ重要な基底部の下部意識)が都合の悪い否定or捨象すべきものだったからである。


事実、私権時代の思想家達は、「あるべき人間や社会」の姿を考察し、説くことに主目的を置いていた。かつての哲学が形而上学や倫理学とも呼ばれていた所以である。
そしてこの「あるべき人間像や社会像」に照らし合わせて、現実の社会や人間を批判した。つまり批判の拠り所(正当化の根拠)としてこの「あるべき社会像や人間像を」を用いたのである。このあるべき人間像にたどり着く為には(出家することや書斎での思索の日々を送るなど)俗世から実を離す必要があった。このあり様が普遍的に存在しうる筈も無い。ましてや、人々の集合体である社会像にいたっては、文字通り思弁から生まれた観念上の楼閣に過ぎないものである。
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(写真は「ウィキペディア [5]」より)

これでは、現実を変革できる訳がない。そこで、さすがに現実を捨象した綺麗事の価値観念だけでは現実を変えることが出来ないと思い知った一派が、暗い悲惨な現実を対象化し始める(19C)。
しかし、現実否定の正当化=倒錯思考というパラダイムの中で、どれだけ「現実」を対象化した所で、所詮は否定意識が対象化した偏った「現実」しか見ることができない(例えば、最基底にある性闘争→性的自我を全く対象化していないし、ましてや実現基盤など全く摘出できなかった)。
従って、結局彼らも現実を変革することは出来なかった。


そこでこの思弁哲学にこうして登場したのが社会主義(マルクス)である。
マルクスは、労働者が貧困状態から抜け出せないのは、資本による支配・搾取が原因であるとし、資本の根源に私有権が存在することまでは看取した。しかし、マルクスは、そもそもなぜ私有権が発生したのかについて、考察が明らかに不十分であった。従って、仮に資本の運動が問題だとして、資本の運動を超える実現基盤を摘出することが出来なかった。
資本の運動や私有財産制を問題視したマルクスたちは、そこから「労働者の団結によって、資本家を倒し私有財産制を廃止する(共有化)という実践的結論を導いた。
しかし社会主義が壮大な失敗に終わったのは周知の通りである。私権(地位や金)を激しく求める人々は絶えることなく、結局は序列原理の一変種である官僚制を生み出し、私権獲得競争を抑制すれば抑制するほど活力が衰弱してゆくという悪循環の中で社会主義は崩壊したのである。それは私有権の更に背後に横たわる下部意識の構造を発掘できなかったからである。

要するに、現実否定意識を正当化しようとする倒錯思考のパラダイムでは、決して現実(特に下部意識)を全うに対象化することが出来ず、従って現実を変革することはできない。これでは、社会を統合することなど出来る訳がない。


新しい構造認識として提示されている「実現論 [6]」が、生命の起源から始まって、哺乳類、サル、人類にいたる進化史を紐解いているのも人類の下部意識の構造(本能、共認、観念の3層構造)を明らかにするためであった。その進化の構造を明らかにすることで、私権時代の現実の深層構造や、現在という時代に潜む大きな可能性を発掘することが可能になったのである。

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