
今回新たに、『社会可能性の直感・・・我々は認識を武器として生きてゆけるか!』シリーズと題して、主にパラダイム転換の可能性について、『るいネット』の秀作記事を紹介していきます 
パラダイム転換とは、以前に当ブログに掲載した【観念パラダイムの逆転1】~現実捨象の倒錯観念から、観念捨象の現実直視へ~ [1] で扱われているように、
欺瞞観念(現実否定の観念パラダイム)を全面否定し、現実直視=現実の中に新たな可能性を求めるという(現実肯定の観念パラダイム)への転換を意味します。
このパラダイム転換がなされるか否か?そこに立ち塞がる壁はないか?ということを点検、検証しているのが、次に紹介する記事です。

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以下、□囲みの文は新パラダイムの点検1 現実の壁を対象化できるか? [4]からの引用です。
●現実(人々の下部意識)を否定or捨象する倒錯思考を止め、倒錯観念を捨てて現実(下部意識)を肯定的に対象化する。
●あくまで現実に立脚し(=現実を受け容れ)、決して現実を否定or捨象することなく、現実(可能性とその壁)を対象化する。
それは単なる現状維持の現実肯定ではない。現実を閉塞させている倒錯観念を全的に否定している。
それは、単なるプラス志向ではない。現実の不全(危機・閉塞)をも、全的に対象化している。
これがパラダイム転換への思考方法。
例えばいじめ問題。「いじめはあってはならない」「仲良くすべき」という思考だと、そこからは、「いじめのない学校にしましょう!」「みんな仲良くしましょう!」というスローガンしか出てこない。
これが、まず「こうあらねばならない」という観念ありきで、物事を思考する倒錯思考。いじめという現実を否定することが前提となっている。

しかし、いじめという現実を受け容れ、それがなんで起こるのか?とその現実を対象化していくと、次のようなことが見えてくる。
‘70年貧困の消滅により、私権獲得という収束先を失い、それに代る新たな収束先が見つからないという収束不全の状況に陥った。勉強⇒私権獲得という目標(課題)を失った子ども達の、(人工的に集められた)学校での主要な課題は、「人間関係をいかに生きるか?」になる。
さらに、本源潮流による仲間収束の強まりも相俟って、仲間同士の結束を固める(=課題)ために誰かを敵にする行為におよぶ、これがいじめの構造。そこまで解ると、いじめをなくすには、私権獲得に代る新たな収束先:集団課題を作っていくという一つの実現可能性が見えてくる。

しかし、現実を受け容れながら、現実の不全(危機・閉塞)を対象化することが出来るか?
本源収束・社会収束の下部意識(潜在思念)に立脚して、その可能性を実現しようとすれば、既成観念や私権制度etc無数の壁が立ち塞がり、当然不全感も生起する。問題は、そこで不全→否定意識に囚われて終うか、脱却できるか。つまり、実現回路の強さの問題である。
確かに、先のいじめ問題でも、私権獲得に代る新たな収束先:集団課題を作ろうとした場合、学校制度や個々の家庭の問題など、壁が立ち塞がり、突破するには相当の困難も予想される。
不全→否定意識に囚われてるということは、以下の状況を言う。
そこで、実現上の壁(小不全)を前にして、それを捨象or否定し、思考停止して終うのは、決して現実直視の実現思考だからではなく、その逆である。即ち、実現回路が貧弱であるが故に、捨象or否定意識の内部に閉じ込められて終うからである。とりわけ不全にこだわるタイプは、いつもあれこれ考えている様に見えるが、実現思考から見れば、否定意識に囚われた倒錯思考は思考を停止しているのと同じである。
実現回路の強弱は、主に母子関係における充足経験に規定される。
母親との関係が健全、つまり、乳幼児期から充分なスキンシップと親和充足を得た子どもは、その充足経験を基盤に、家族や仲間、そして周りの人達(社会)へと充足期待を投げ掛け、充足を共有しようとしていく。この経験が、「期待すれば必ず充足可能性は開かれる=実現する」というように「対象への期待発」の実現回路が強化される。

一方、不全にこだわるタイプは、母子関係での充足経験が乏しく、その非充足=不全状態を統合するために頭の中で充足状態を捏造する必要がある。その時に陥るのが、「(充足が与えられないのは)当たり前」→「(充足なんて)とるに足らないもの(orいらない)」、或いは「(与えてくれないのは)相手が悪い」→「自分は悪くない」というように、思考が「自身の不全発」で現実捨象や他者否定の思考=倒錯思考となる。
実現上の壁を突破するためには、現実直視⇒実現の構造認識が必要になる。実現派が実現上の壁を捨象して終わないのも、本源への大きな可能性を知っている(=明確に実現構造を認識している)が故に、その実現上の小さな壁は必ず突破できる筈だと確信しているからである。
そうして既に、『私権から本源へ』の可能性が見えた以上、後はその開かれた可能性を実現することだけ考えれば良い。
●潜在思念の可能性認識⇒実現思考は、必然的に実現の為の現実対象の仕組みや実現基盤の解明に向かい、現実の構造認識を蓄積してゆく。
しかも、潜在思念の可能性認識が明確な実現構造の認識につながる度に、潜在思念の可能性認識が強くなり、実現回路も太くなってゆく。
従って、潜在思念の可能性認識⇒実現思考は、必然的に実現構造の体系を構築してゆく事になる。
構造認識については、以下が参考になります。
今求められている観念は現実の問題に対してそれを切開し、原因分析を行い、実現可能な突破口を導く為の観念です。つまり事実に立脚し現実の根拠を起点に、問題を分析し、社会や人間の意識の基底構造とそれが変化していくダイナミズムを解明した構造認識であり歴史法則の認識です。つまり価値観念ではなく「事実観念」です。その意味で自然科学における諸概念や諸法則に対応するものといっていいと思います。それは自然科学がそうであるように、基底的な諸認識は共通でありながら、状況の変化(新たな事実の発見や状況変化に伴う突破すべき問題の変化や主体側の条件等)に応じて無限に組替えられ場面に合わせて応用され、発展していくものです。(実際そのようにして自然科学は塗り重ねられ発展してきました)
『価値観念と事実観念』 [5]より
次回は、パラダイム転換の効用と題して、その有効性を検証していきます 