共認革命16では、ネットを祭りの場(最大の共認充足の場)とするために、「投稿が、社会人の役割」として、最も期待される活動であることを示しました。
そして、「普通の人が投稿できる様な仕組みを実現すること」が、重要な課題であることが浮かび上がってきました。
今回は、既に多くの人が発信に使っている携帯メールと比較するなかで、普通の人がネットで発信するための条件について検討します。
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画像は「路上ブログ [2]」からお借りしました。
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携帯メールに比べて、ネット投稿は何故広まらないのか? [3]
●携帯には、連絡を取るという、実関係に欠かせない(その補強手段としての)必要性と利便性がある。
●その上、簡単なメッセージを発信するだけで関係を保てる(従って広くつながれる)という、思わぬ利便性もある。
●そして、あくまでも1:1の私信なので、日常の私話と同レベルで(特に構えることもなく)発信できる。
●それに対して、ネットでは生活情報や知的情報を得られるが、それらは欠かせないものではなく、必要性も利便性も低い。
●しかも、それらの情報は読めば足りる。そこには、連絡を取る為と云う様な発信の必要性(必然性)が、全くない。
●その上、ネット上に発信すれば、多数の目に触れる。多数に向かって発信するという経験自体が日常生活にはない。
●従って、ネット上の発信者=投稿者は、出会い欠乏が強いとか訴えたい思いが強いとか、発信必要の高い一部の人に偏る。しかも、私信ではなく公開で、かつ非日常的な行為なので、文章に慣れた者しか(or素人なら構えた文しか)発信できない。
☆普通の人に(皆に向けて発信するという非日常性の壁を越える)発信必要性を作り出すことが不可欠。
⇒☆それは、社会変革⇒社会参加=ネット発信(つまり、投稿は社会人の責任課題)という課題共認しかない。単なるつながり・広がり欠乏では、発信必要までいかない。MLであっても発信の課題共認が不可欠である。
確かにこれまで普通の人には、不特定多数の皆に向けて発信するという場はなく、そんな経験をする機会は殆どありませんでした。
しかし、「ユーザーが選んだ!宿ランキング-じゃらんnet [4]」 、「価格.com – 「買ってよかった」をすべてのひとに。 [5]」 など、自分の体験や実感をネットへ発信する事によって、皆の実感と積み重なり、それが皆の役に立つ情報となり、自分も充足できるという場が人気を集めています。
この流れが、「この閉塞した社会を何とかしたいという皆の思い」と繋がった時、社会的な課題をネットで発信し共有する場=統合サイトが祭り場となり、皆の思いを実現する母胎となっていくのだと思います。
最近のるいネットの「お勧めサイト」の充実振りを見ると、その時がすぐそこまで、迫っているのをひしひしと感じます。