
今回のシリーズ7では、
世論形成によって一般市民へ被害を与える事例を見ながら
その恐ろしさについて、掘り下げて考えていきます。
◆本来あらゆる権力構造に対して、対峙する必要から与えられた『報道の自由』。
しかしながら、現実はそうなっていない。
間逆の方向に対峙する現代のマスコミは、今や【社会の凶器】
となった。
[1]
より以下引用。
「報道の自由」を盾に、社会秩序を根底から破壊してゆく者たち。 [2]
これまでマスコミは様々な企業や団体を叩いてきた。しかし、それはそれらの企業や団体が違法行為を犯している場合、あるいは被害者を生み出している場合に(つまり、叩くべき理由がある場合に)限られていた。
ところが、今回、週刊朝日は、これまで何らの違法性もなく、又何らの被害の声も出ていない、健全な一中小企業たる類塾を標的として、その信用を著しく毀損すると共に、在塾生及び卒塾生ならびにその保護者らの名誉をも毀損する記事を掲載し、以って類塾に多大な営業面及び経営面での損害を与えると共に、15万人を超える在塾生及び卒塾生ならびにその保護者に多大な心的被害を与えた。
かかる報道は、健全な中小企業やその顧客に対する報道機関のテロ攻撃とも云うべき暴挙であり、善良な企業経営や市民生活を脅かし、以って社会秩序を破壊する極めて反社会的な行為である。
今や、社会は、かかる報道機関による一方的なペンの暴力を放置しておくことを許さない段階にまで成熟していることに、留意しておく必要があるだろう。
これまで、報道機関は、その報道を規制する法律が殆ど存在しない等、ほぼ無制限とも云える>「報道の自由」を保障されてきた。
しかし、それは「強大な国家権力や資本権力と対峙する必要から与えられたものである」という大前提を忘れてはならない。
そのようにして与えられた、ほぼ無制限とも云える「報道の自由」を武器にして、報道機関は強大な世論形成力を獲得してきたが、近年、報道機関はしばしば国家権力や資本権力のような強大な力を持っていない一企業や一市民を標的として、その強大な世論形成力を行使し、攻撃するようになってきた。その場合、報道機関と一企業あるいは一市民とでは、その世論形成力に圧倒的な差がある。従って、報道機関の標的とされた企業や市民は、一方的に甚大な被害を被ることになる。そして、このような状態が放置されるなら、報道機関は自らの好き嫌いあるいは独断と偏見に基づいて自由に標的を攻撃し、一般企業や一般市民に甚大な被害を与え、潰すことさえ可能になる。社会秩序を根底から破壊するような、かかる反社会的行為が許される筈がないだろう。
従って、
第一に指摘しておくべきことは、『強大な力を持たない一企業や一市民に対する無制限な「報道の自由」など、存在しない』という点である。
なぜなら、もし、そのような「報道の自由」を認めれば、それは報道機関の恣意によって作り出される様々な報道犯罪の温床となり、社会秩序を根底から破壊してゆくものとなるからである。
第二に指摘しておきたいのは、例え国家権力や資本権力を標的とする場合であっても、「報道の自由」は決して無制限なのではなく、その報道姿勢や報道内容が、客観性(それが事実であること)及び中立性を保持している場合にのみ認められるという点である。まして、その標的が一企業や一市民である場合は、より厳しく客観性及び中立性の保持が求められることは、云うまでもない。
一企業や一市民を標的として、攻撃するようになってきたマスコミは、
今や【社会の凶器】となり、社会秩序を根底から破壊してゆく暴走機関 [3]となってしまった。
第2に取り上げた客観性・中立性を保持した場合のみ『報道の自由』が、
権力体に対して限定的に許されるというものであった。
しかしながら、それだけでは充分でない。
次回最終回は、マスコミの反社会的行為の総括ポイントを扱います。
乞う、ご期待!! 🙂