[1]
(画像はコチラ [2]からお借りしました)
前回までのエントリーで(「構造認識の現況3 [3]」)、既成の構造認識=近代思想は否定と自我の潜在思念によって歪められており、従って既成観念の全的否定が必要だということを明らかにしてきた。
しかしながら、モノを考える上では本来観念思考は不可欠である。
この「思考次元」シリーズにおいては、本来どのような思考方法が必要なのか、どのようにすれば有用な認識を得られるのかについて、記述されたるいネットの四方勢至の投稿を3回に分けて紹介したい。
応援&コメントよろしくお願いします!
[4]
人々が観念思考を敬遠する様になったのは、知識人によって与えられた構造観念が無効or誤りであることを、人々が(’70年以降)嗅ぎ取ってきたからである。他方、本源充足の可能性が開かれた事によって、代償物にすぎない感応観念は無用の物となって捨て去られた。
しかし、既成観念が生命力を失い、無用の物となれば、ただ捨てれば良いのであって、それらは観念思考を敬遠する理由にはならない。
とりわけ、構造観念は現代の危機を突破する上で不可欠なのであって、既成の構造観念が無効or誤りなら、新しい構造観念を考え出せば良い。
いったい、現代人はなぜ新しい観念を作り出せないのか?
ここで、現代人の思考次元を三段階で押さえておこう。
注)
三段階=
( ①思考次元1 潜在思念の実践思考 [5]
②思考次元2 否定意識の倒錯思考③思考次元3 本能⇒共認⇒観念の超越思考(構造認識) [6])に分けて紹介していきます。
思考次元1 潜在思念の実践思考
これは、原始人以来の(動物にも備わっている)本源的な思考様式で、主に、感応(本能⇒共認)回路をもって現実を対象化し、答え=可能性を模索する。
生命体の認識機能には、食欲や性欲etcの欠乏を感じる内識機能と、それを充たす為の視聴覚をはじめとする外識機能がある。答えとは、課題の実現経路であり、実現経路とはこの内部意識と外部認識がイコールで結ばれた回路である。
答えを発見すると同時に全主体(=感応回路)はそこ(=実現経路)に可能性収束するが、それはある開かれた(=答えを見出した)欠乏意識とある開かれた対象認識がイコールで結ばれて共に強化される過程=その実現経路が強化される過程=その様な主体(実現回路)が強化・形成される過程である。
従って、欠乏意識(内的認識機能)と状況認識(外的認識機能)を結ぶ実現回路こそ主体の中核(先端主体)であり、この実現回路こそ思考の先端中枢である。
感応回路とは感覚機能や感情を刺激する回路である。(一方観念回路は例えば物理の法則がそうであるように、通常は感覚機能や感情を刺激しない。)
因みに、この潜在思念の実践思考は人間のみならず動物にも具わっている全生命体に共通した思考方法でもある。
生命体は、内識機能がキャッチした欠乏意識と外識機能がキャッチした状況認識をイコールで結ぶ事のできる実現経路、すなわち方法回路によって外圧に適応している。
つまり生物は、内識機能でキャッチした欠乏意識を充たすための外識機能と方法回路を発達させてきた実現態であり、これらは生物の行動様式=本能そのものを形成している。
生物とは環境に適応すべく外識機能と方法回路を環境に応じて多様に発達させてきた存在であって、本能が多種多様な形で形成されるのもそのためである。
[7]
(シマウマ:画像はコチラ [8]からお借りしました)
例えば、シマウマは敵を察知する為の視覚聴覚を発達させ、早く逃げるための足と持久力のある筋肉を発達させ、さらに安全な場所で消化するために消化器官(4つもの胃袋)を発達させてきた。
また、ライオンは相手に忍び寄るための肉球や、一度捉えた獲物を逃がさないための鋭い爪や牙を発達させてきた。
このように本能=実現回路は種の特徴そのものであって、投稿にある「実現回路が主体の中核である」とはそのことを指す。(因みにその意味で実は人間の個体差=個性の中核も、この実現回路のありようが作り出したものである)
また全ゆる生命体は、欠乏を充足させる=実現する=外圧に適応する、為に試行錯誤しているのであって、実現回路とはその試行錯誤の集積である。この回路は、外圧の変化などの未明の自体に遭遇する度に、新たな方法回路を模索し続ける。投稿にある実現回路とは「実現回路とは思考の先端中枢である」とはそのような意味である。
[9]
(ライオン:画像はコチラ [8]からお借りしました)
注:人類の場合、当然、観念回路も使われているが、健全な実践思考では、主に状況認識を整序する為に観念が使われている。つまり、潜在思念(その先端の実現回路)によって整序された実践的な構造観念である。
逆に感応観念は、(次の2で明らかにするが)欠乏意識・課題意識をも状況認識をも共に歪曲し、極めて不健全な思考回路を形成する。
潜在思念による実践思考は実は殆ど観念を使わない事が多い。この実践思考は実現回路に照らし合わせて、状況認識に対して半ば無意識に(プラスorマイナスの判断を行うなどして)、それら状況の相互関係を整序している。
それに対して例えば外圧に日々さらされ集団でそれに立ち向かっている経営課題などでは、状況や問題を共有し、整理し、外圧を突破するために観念も駆使させている。例えばデータ分析などもその一つである。この思考はひたすら欠乏を実現するために対象=状況を決して否定することなく対象の中に可能性を求めて思考するあり方である。これらの状況認識=実現回路を用いた対象の把握こそ、健全な観念の用い方といえる。
(しかしながら、この潜在思念の実践思考はとりわけ未明課題や大状況の変化に対しては無意識=観念を用いないで作動していることが通常であり、例えば充足基調や、社会収束なども外圧の変化に対応して、新たな突破口を求めて、この潜在思念の実践思考が無意識のうちに生み出したものである。)
いずれにせよ、健全な思考とはこのように外圧や対象に向かって作動する外向き思考とも言うことが出来、それに対して外的対象不在の内向き思考(悩みや、自分って何?)は明らかに不健全な思考という事ができる。
注:近代思想が言う所の主観・客観という概念は、内部意識と外部認識を未分化に混合させた概念であり(主観も外識を使うし、客観も内識を含む)、全く意味を成していない。
[10]
(カント:画像はコチラ [11]からお借りしました)
この投稿が明らかにしているように、本来思考するとは主体と対象をイコールで結ぶという事であり、主観・客観という、近代思想が生み出した、主体と対象とを分離した概念はこの観点から見て全く意味を成さないものであり、主体と対象を切り離した不健全な思考に人々を誘導した、重大な誤りの導入口ともなったものである。
[12]
(マルクス:画像はコチラ [11]からお借りしました)
次回はこれら近代思想の思考法の問題点を明らかにするべく、四方氏による「否定意識の倒錯思考 [13]」を紹介していきたい。