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ココが変だよ『地方分権』2~特権階級(公務員)支配を誤魔化す方便

「ちょっと変!?「地方分権」①国と地方の財源と権限の綱引きに過ぎない」 [1]で見たとおり、旧政権下における地方分権の議論には、
  と 地方 (しかも一部自治体の首長だけ)が参加してるだけ。
しかも議論の焦点は、中央→地方への権限と財源の移譲 だけ。
★これじゃまるで『国と地方の縄張り争い』
法律で 国と地方は対等 と決めたそうだが、このときの「地方」っていうのは、地方に住む国民や住民団体を差すのではなく「地方自治体≒地方政府」を指すらしい。
★要するに 中央政府 vs 地方政府っていう『お役人集団』同士 が対等ってこと。
お役人同士の綱引き&押し付け合い=駆け引きで決まるということは、国民(住民)の期待なんて誰も考えてないってこと?
『地方分権』にしろ、『道州制』にしろ、どうもピンとこないのは、「国民みんなにとってどうなのか?」というところが、議論の出発点で捨象されているのが原因のようだ。
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一方、国民の意識は、『『社会的役割欠乏』が喉元まで出かかっている』 [2] 『学生も社会人も、抱えている不全は基本的に同じ』 [3] 『社会的役割は無限にある』 [4] 『介護事業における「高齢者雇用」の可能性は?』 [5] などに見られるように、
若者や退職高齢者を中心に『社会的役割』を求める声が出てきている。
社会的役割欠乏が高まることで、必然的に『社会への参加欠乏』が生じる。
なんでや露店で「経済や政治に関わるお題」が普通に聞かれるようになってきていることからも『社会参加欠乏』が急速に高まっていることが窺える。
このことはかつて「社会のこと=遠いこと」と捉えていた国民の意識が、最近になって大きく変わってきていることを示しているが、『地方分権』を議論している政治家や官僚・学識者はまだこのことに気付いていないのだろう。
社会参加欠乏が高まっている国民から見ると、『自分たちが参画しての自治』や『自分たちの社会統合上の役割』が俎上に上らない、いまの地方分権をめぐる議論が空虚に聞えてしまうのも当然のこと。
当ブログでも、すでに『地方分権論』に代わる『共同体社会の実現政策』 [6]が提起されているので、自治に関わる部分を改めて紹介しておく。

(前略)
4.現状の公務員制度の問題点は明らかである。国家(行政組織)も単一の集団でしかない。ところが、集団は自己収束(自己閉鎖)性が強く、彼ら官僚(公務員)は自集団の利益が第一になってしまう。各集団を超えた次元にある社会を統合する組織が、実は単一の集団でしかないというのでは、社会を統合することはできない。官僚集団の利益第一となる方向に、社会は歪められてゆく。しかも彼らは国民に選ばれたわけでもなく試験制度に合格することで官僚という専任特権を獲得したにすぎない。今や、検察をはじめとする専任官僚による権力の行使は暴走というべきレベルに達している。
万人が属している社会を統合する仕事は、万人によって担われなければならない。そのためには、公務員も専任ではなく、半専任化すべきである。つまり、誰もが専業を営んでいるわけだが、一定の期間は公務(社会統合の課題)を担い、一定期間が過ぎれば専業に戻るという参勤交代制が考えられる。当然、公務期間中の収入は保証されなければならない。ヤス氏の言われる「公共圏を維持するこれまでとは根源的に異なるスタイル」とは、この公務の半専任制(参勤交代制)によってはじめて実現できるものだろう。

『共認原理時代の社会統合機構の構築』も、旧い特権階級には期待できない。
自分たちの生きる場は自分たちで創っていく!
これからの地方自治も含めた具体的な実現施策は、われわれ素人たちが、自ら発案し、創り上げていくことになる。

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