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日本支配の構造35 岩倉使節団~イギリス編① 金貸し支配国家

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1816年のイングランド銀行と王立証券取引所
画像はwikipedia「イングランド銀行」 [1]よりお借りしました。
日本支配の構造34 岩倉使節団~アメリカ編 “洋上に昇らんとする太陽” [2]
に引き続き、当時の覇権国家・・・「イギリス編① 金貸し支配国家」 です。
既に産業革命を終えたイギリスにおいては、市場拡大による富の拡大こそが最重要課題となっており、日本では蔑まれていた商工業者=金貸しが支配する社会であったようです。
尚、記事作成に当たっては、使節団に記録係として同行した久米邦武の『米欧回覧実記』に基づく「岩倉使節団という冒険」 [3]泉三郎著 からの引用を元にしています
いつも応援ありがとうございます。


使節団のイギリス視察での主な気付きは以下
■シティ・・・覇権国家大英帝国の核は経済の中心地 
■金貸し支配社会・・・財産の増殖と保護こそが最重要課題
■工業生産における生産性向上の鍵は「分業」 
■貿易=国際的分業による富の拡大 
■科学技術⇒工業生産力の上昇による富(幻想価値)の拡大 
以降は次回「日本支配の構造36 岩倉使節団~イギリス編② 市場拡大の原資をどうする?」
■工業生産力も、それを生み出す科学技術も、資本力に規定される 
■身をもって金貸しの騙し世界を体験 
■大英帝国の繁栄は、僅か40年で為された・・・ 
■市場原理の行き着く先⇒貧富の格差拡大、社会の崩壊 

■シティ・・・覇権国家大英帝国の核は経済の中心地

シティは大英帝国の核ともいうべき経済活動の中心である。わずかな面積のところに十六万の人が住み、銀行、会社、取引所などが集中し、一種独立の風をなしていた。

当時のイギリス帝国(ヴィクトリア朝)は、産業革命による経済発展が成熟した絶頂期。「世界の銀行」と呼ばれ、世界各地の政府、鉱山、工場、プランテーションなどに投資し利子を稼いでいた。その中心核が“シティ”・・・つまり、経済力こそが当時の制覇力
■金貸し支配社会・・・財産の増殖と保護こそが最重要課題

しかし、はっきりしていることは、英国では東洋と違って交易や商業を重く見ていることである。東洋では政治の基本には「治山治水」はあっても「交易商業」はなく、商売より「身を修める」道徳こそが政治の第一課題となってきた。日本では「士農工商」という身分制度を設けて、商を最下位においており、町人や金銭をむしろ蔑んできたのだが、そこが西洋と最も異なる点だと理解する。
米英を回って実際をみてみると、日本のようにお上ではなく商工業者が大きな力をもっている。それはそこから生み出される富、財産がものをいうのであって、それが権利のもとであり、その上に選挙があり、政治家がおり、それによって構成される議会で政治が行われている。そこでは財産の増殖とか保護が重要な課題とされ、それは農業もさることながら、商工業や貿易の重要さを前提とした方式であるとを理解するのだ。

西洋と東洋の最大の相違点・・・それは、「治山治水」よりも「交易商業」、道徳よりも商売・・・つまり、国家・集団統合よりも、私権追求こそが再重要課題であり、それを主導する金貸しの支配下に政治が位置するという点。
その後明治期の日本の歴史は、あくまでも国家主導(その元に国策会社としての大財閥=金貸し)での欧米金貸しとの闘いであり、イギリス訪問によって、敵の総本山の姿をおぼろげながら認識したのではないか。
■工業生産における生産性向上の鍵は「分業」 

仕事は分業化していて、各部分の仕事をしている人はその部署のことしか知らない。設計図や雛形というものがあって全体を総合し、各部分はそれぞれの職工がうけもって仕事をしていく。・・・つまり、米欧において工業が盛んで生産性が高いのは「分業の原理」によることを、使節団一行はアダム・スミスの『国富論』をひもとくまでもなく、実地に見学して得心したのである。

■貿易=国際的分業による富の拡大 

いったいこんなに多くの機関車や車両を次々とつくってどうするのか、狭い島国のイギリスは車両で溢れてしまうのではないかと問えば、案内人はさらりと答える。「いやいや、われわれは世界のことを考えている。売り手は北の大国ロシアから未開の大陸オーストラリアにまで及んでいる」と。
・・・一行は分業が一製作工場や一国内にとどまらず国際的にも行われており、各国がそれぞれ得意の製作に励み、その産品を交換し、貿易という形で互いに相補っていけば、双方が富国への道を歩めることになると理解するのである。

工業生産力を増強し、貿易によって製品を他国に売ることで富国を実現してゆくという、その後の日本の基本的なスタイルがイメージされたのではないか?
■科学技術⇒工業生産力の上昇による富(幻想価値)の拡大 

イギリスの風土は決して羨むべきものではない。・・・その貧しい恵まれない風土のイギリスが何故、今日の富強を勝ち得たのか、一行はその真因に思いをいたす。そして、その有力な原因がこの炭坑にあり、地下数百メートルの暗闇から石炭という富を掘り出していることに気づくのである。
「英国と富は、石炭と鉄とを以て、器械を運し、綿毛麻を紡織せるを眼目とせり、その羊毛は遠く豪州より輸入し、その綿花はアメリカ諸国より輸入し、その麻は印度より輸入し、亜麻は露国より輸入す。」
要するに主産業である紡織業の原料は、若干の羊毛を除いてはイギリスで出来るものはほとんどない。原料は東洋や南洋の諸国から運んできたものである。その本家本元の原料のある国は、自らそれを加工して販売する力がなく、英国をはじめ欧米諸国に利を奪われている のだ。それは何故か、久米はこう観察する。
「人民の遊惰なるなり。試みに之を見よ、東洋の西洋に及ばざるは、才の劣なるに非ず、知の鈍きにあらず、ただ済生の道に用意薄く、高尚の空理に日を送るによる」
才知の点では東洋人、ことに日本人は西洋人に劣らない。それは各地で米英人の仕事ぶりをみても感じるし、日本からの留学生がその優秀性を各地で認められていることからも推察できた。ただ、西洋人の素晴らしいところは、刻苦勉励して理学、化学、重学(構造力学)の三学を開き、その原理によって器械を工夫し利器を発明しことだ。そうすることで本来それほどですぐれていない才知を助けて富強を実現したと解釈する。

原料を輸入し、工業製品として幻想価値を付加することで、高値で売ることができる・・・こうした工業製品と原料(農業製品)の『価格格差』を利用した富の拡大が、先進国と後進国の格差を拡大していく仕組み。
そして、工業生産力の背後には、科学技術(理学、化学、重学)の力があり、それが人間の生来の才知を補っているという視点。工学技術教育強化が急務であることに気づいただろう。
※その後、伊藤は工業の近代化を図るためにはとくに工学技術教育が緊急に必要だという観点から、工部省内に大学をつくることにし、ヒュー・マケ・マセソン(東インド会社のサー・ジャーディン・マセソンの一族で、大商人)に主任教師の人選を依頼。
結果、グラスゴー大学のダイアー教授の招請に成功。ダイアーは創設期の工部大学校(後の東大工学部)の教頭となり、外の招聘教授とともに日本近代化に必要な技術教育において大いなる貢献をする。
ジャーディンマセソンはロスチャイルド系の金貸し。
・・・つづく

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