
ヴェネツィア貴族の起源
の続きになります 😀
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・有力平民の台頭
13世紀、貴族は既に社会的に平民とは区別される存在となっていた。政治面では、前述したように全ヴェネツィア貴族の議会である大評議会が最高機関として機能していた。経済面ではコレガンツィアと呼ばれる共同経営事業で主導権を確保し、商業活動で大きな役割を果たした。だが、13世紀中葉以降そうした貴族優位の社会状況は動揺することとなる。同世紀に行われた第四回十字軍を一大契機として、ヴェネツィアは飛躍的な経済発展を遂げる。それに伴い、平民の中に急速に経済力をつけ、同時に社会的影響力を増した有力者が大量に出現するようになった。彼らは次第に権力への参加を要求し始める。1260年代前後貴族に従属していたギルドは、一定範囲内での自治を獲得するのに成功した。1280年代には、平民内の有力者達が大評議会への参加権を要求した事により、社会的緊張が増大した。そして、1290年代、ジェノヴァとの二度目の戦争が発生し、クルツォーラの敗戦をはじめとしたジェノヴァ優位の戦況で戦争が展開していた。この時、この内憂外患とも言える状況を打開するために行われたのがセッラータであったと考えるべきであろう。大評議会に不満を抱く平民の有力者層を大評議会に加えることは国内の緊張を緩和し、貿易・内政・軍事を指導する指導層の拡大につながり外敵に立ち向かう体制を整えることとなる。
・議員数の急増
実際、このセッラータには多くの平民を大評議会に加えたようである。F.C.Laneはこう論じている。1297年の改革が、大評議会から平民を締め出すものであったということは、実のところどの年代記の中にも記載されていない。というよりも、大評議会の議員選出の手続きを変更した1297年の法律そのものについて触れられていない。1350年頃書いたと推定されるアンドレア・ダンドロの年代記では「この元首はその委員会とともに、若干の平民達が大評議会に入ることが許されると言うことを命じた。」と述べている。また、これとほぼ同時代のジャスティニアーニの年代記でも「1303年1月、この元首のとき元首閣下ならびに他の貴族は、アッコンとその周辺から逃れてヴェネツィアに住むためにやってきた多くのシリア人の子孫と、既に述べたジェノヴァとの戦争で勇敢に振る舞った多くのヴェネツィアの平民とを、ヴェネツィア大評議会の議員にすることに決定した。」と述べている。これらの記述からうかがえるのは外国人と平民の大評議会への加入である。大評議会の議員数も1297年の589人から1314年の1150名へと急増していることから多くの平民が加えられたと考えた方が妥当である。
・終身議員
セッラータはなにも1297年の法律だけで成し遂げられた改革ではなかった。1299年に通過した法律は元首と6人の元首補佐官によって推薦され、四十人委員会の過半数の賛同を得られた者を大評議会の終身議員とした。この法は有力家系に属さない人々にも門戸を開き、1297年の法律を補強する機能を果たした。このような大評議会の拡大を促す動きがある一方で、それを抑制していく動きが現れ始める。当初、大評議会の終身議員になるには四十人委員会の十二票をえればよかったが、条件が厳格化していき三分の二の票を取ることが求められるようになった。また、申請しながら承認を得られなかった者には300リラの罰金が科せられた大評議会加入の条件の厳格化により、大評議会に参加していない平民が議員となることはますます困難なものとなっていった。
・大評議会の閉鎖
こうした大評議会拡大を阻害する動きの背景には新支配層の形成が進んでいたことが考えられる。すなわち、セッラータ以前の従来の貴族層と新たに大評議会に加わった平民との間で社会的な同化が進展し、支配体制を築きつつあったという事である。そして、1323年の法律により既に大評議会に議員を出している家系の間での議員の世襲が決定される事となる。これにより、大評議会のメンバーは固定され、それまで外に向かって開かれていた門戸は閉鎖される。ここに、セッラータは完成するのである。
・結論
その結果、大評議会議員であるということが貴族である事を意味しだした。そして、この事が貴族に法的基盤を与えた。旧貴族と平民内部の有力者とが融合してできた新しい貴族階級はセッラータの完成によって排他的特権を有した政治階級としての地位を確立する。これ以後、1381年の対ジェノヴァ戦争での功績により30家が貴族階級に迎えられるのを例外として、クレタ戦争の戦費調達のため貴族の特権が売られる1646年まで一人として同階級へ新しい家系を加える事はなかった。平民内の有力者達を取り込む事で権限を強化した大評議会に、もはや人民集会は対抗できなくなった。これにより確立された大評議会を基盤とする政治体制は18世紀末のヴェネツィア滅亡まで続くこととなる。また、この支配体制下の安定した政治状況が14・15世紀の経済的発展を導くこととなるのである。
<参考文献>
斎藤 寛海「都市の権力構造とギルドのありかた」
『史学雑誌』 83、 1992年 PP67~92
クリストファー・ヒバート 著 横山 徳爾 訳 『ヴェネツィア 上』
原書房 1997年
永井 三明 『ヴェネツィア貴族の世界』
(参考)
都市としてのヴェネチィア [1]
このように見ていくと、 『大評議会』の閉鎖によって、貴族が固定化されていき、セッラータが完成したことが、ヴェネツィアからスイスへの移住者を生み出す流れを作り出したのではないだろうか?貴族階級が閉ざされていくことへの反発から、スイスへと移住し都市国家建国を目指す。1200年前後のヴェネツィアの状況と、スイスとの関係性を探ることが、スイスの都市国家の歴史を探る上で重要かと想われるので、引き続き着目していきます 😀