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台頭する中国の干渉を切り抜けるには、歴史から学ぶ。

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 金融システムのバブルが崩壊して米国家の国力衰弱は必須となったが、代わって中国の経済と軍事力の台頭が必然となる。インドや日本との領土や資源問題から緊張関係が生み出され、対日世論干渉と政治紛争が際立ってくるであろう。
 具体的には、米中迎合の日本マスコミ(とりわけ朝日)の世論工作が当面の敵となる。マスコミ(朝日)が鼓舞する中国の日本工作に嵌められない為にも、(南京大虐殺など、マスコミが歪めた近年の歴史教育等の断片ではなく)古代以来の歴史の事実を学び直すことが大切だ。
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 中国から政治制度や生活文化を受け入れながら、その後の日本はなぜ中国とは異なる政治体制へと発展して行ったのか、理解を深めておく必要があろう。縄文の精神風土の内で単一民族として統合されたきた日本人だが、仏教伝来以降の中国との関係を、さかのぼって再把握しておくことが重要だ。
 西暦600年に始まった遣隋・遣唐使を介して、隋/唐の生身の政治制度や仏教を導入した。大陸からの御雇い外人が闊歩した飛鳥の宮は、中国から招聘の僧や専門家と彼らが持ち込んだ外国語・漢語が溢れ返っていた筈だろうと想像できます。
 飛鳥時代の氏族抗争による血で血を洗う政治混乱に歯止めをかけるため、聖徳太子は中国の政治制度を応用して冠位十二階と憲法十七条を制定し、王朝政権の安定を図る政治体制の基礎を作りました。
 然し遣唐使の派遣も、西暦894年には遣唐大使に任ぜられた菅原道真によって派遣停止が建議され廃止となりました(自らはその政争で失脚し大宰府に流されることになった)。
 それ以降、中国(宋時代)から導入したのは専ら生活文化の類です。絹織物やお茶や豆腐や納豆などの、日本人留学僧が持ち帰った生活文化の品々が知られています。それらも日本の繊細な風土や縄文精神に磨かれて洗練されて行きました。 
 
 中国からの直訳的な奈良仏教は政治に介入したが、奈良仏教の政治干渉を避けるべく、奈良仏教と一線を隔した平安遷都以降、最澄(空海)⇒親鸞へと、大乗仏教の教義も「山川草木悉皆成仏」と縄文精神との同化を経た日本仏教の姿が明確になっていきました。
 中央集権の王権体制が衰弱して平安朝が崩れ、農業経営を基盤にした武士階級が各地で勃興し、土着的な封建体制の下に社会基盤が編成されて行きました。
 飛鳥時代以来の王朝政権下で隋・唐の政治制度や仏教を導入したが、地方まで及ぶ観念支配には至らず、500年の時間を経て縄文由来の基礎的社会構造の内部に吸収して行くことになりました。
 和魂洋才で外国の制度や文化を吸収しつつ、縄文風土の内側に換骨奪胎しつつ塗り重ねて吸収
して来た過去の歴史が、台頭する中国の干渉を乗り切る日本民族の底力となるよう念じる。

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