- 日本を守るのに右も左もない - http://blog.nihon-syakai.net/blog -

労働運動の源流としての「マルクス」

 
金貸し支配と労働運動は繋がっていた? [1]

このような特権をアメリカの労働組合はどのようにして獲得したのか? そのような特権は経営者が認めた(与えた)からであり、それは各企業に金を貸す金貸しが認めたからに他ならない。ここでも、金貸しと労働運動の繋がりが透けて見える。
このように、労働運動、さらには左翼運動全体が金貸し支配と繋がっていた疑いが出てくる。
労働運動、さらには左翼運動は金貸し支配の道具の一つだったのではないだろうか? 
これが今後追求すべきテーマの一つであろう。

「労働運動」は当然のことながら、資本家と労働者が登場したイギリス産業革命以後のものである。また、歴史的に「労働運動」に大きな影響を与えたのは、カール・マルクスの「資本論」であり、「共産党宣言」であったことは間違いないだろう。はじめに、諸外国の労働運動を見てみよう。
Marx2.jpg
            若き日のカール・マルクス


諸外国における労働運動 [2]  Wikipediaより

18世紀後半にいち早く産業革命を迎えたイギリスでは、従来の手工業的職人者層を賃金労働者に転落させた原因は彼らの手(技能)に取って代わって生産の主動力となった機械にあるとし、また1799年の団結禁止法による労働者を対象とする組織の禁圧などの背景も手伝って、工場と機械に対する襲撃、放火、破壊などの「ラッダイト運動」と呼ばれる激しい運動が起こった。しかし、革命運動家フランシス・プレイスらの努力により団結禁止法は1824年に撤廃される。これ以後、労働運動は一揆的、暴力的な反抗から永続的な組織による運動に移行する。これが労働組合の結成とストライキである。
職人組合に代わって現れた労働組合は狭い地方組織から急速に全国的組織へと成長し、1834年にはロバート・オウエンの指導で「全国労働組合大連合」が組織された。しかし、周期的な景気変動、恐慌の影響で、熟練労働者の組織でさえ存続も危うくなるような状態であった。一方、サン=シモンやシャルル・フーリエといった空想的社会主義者は当時の資本家の支配する不平等社会を否定し、万人平等と協同を原理とする理想社会を主張したが、支配階級や知識人の良心に訴え実現を説いたため、労働運動と強く結び付くには至らなかった。
また、市民平等の意識のもとに労働階級の利益を反映するよう議会制度の改革や立法の獲得を目指す広範囲な政治運動(チャーチスト運動など)も展開された。1848年には封建的反動勢力との闘争に労働者階級が初めて独自の要求を掲げて参加した。同じ年にはカール・マルクスの「共産党宣言」が公刊され、後の労働運動に大きな影響を与えた。19世紀後半にはイギリスで賃金労働者の目前の日常的利益の追求に活動を集中するトレード・ユニオニズムが熟練労働者の各種職業別組織の活動を通じて確立された。

今後、金貸しと労働運動の関係を見ていく上で、「労働運動」に大きな影響を与え、思想的原点になっているであろう『マルクス』自身が、金貸しや労働者とどの様な関係にあるのかを抑えておくことは何らかの意味をもつだろうという予想の元に、『マルクス』の系譜を見てみよう。
カール・ハインリヒ・マルクス [3](Karl Heinrich Marx, 1818年5月5日 – 1883年3月14日)ユダヤ系ドイツ人
引用文献は、『ロマノフ家の黄金』広瀬隆 より

マルクスと巨大財閥
 マルクス自身は、ここに示す広大な系図の中を泳ぎながら、身をもってヨーロッパ大財閥を体現していたようである。
 母方のいとこの息子アントン・フィリップスは、我が国では松下コンツェルン生みの親として銘記されなければならないが、ヨーロッパ最大の電機メーカー「フィリップス」の創業者であった。オランダのユダヤ人アントン・フィリップスは、ラパロ条約を結んだAEG創業ファミリーのラーテナウ外相と協定を結び、バクーのソ連支配者レオニード・クラーシンに取り入ったことで知られている。このフィリップスに資本を投下したのがロスチャイルド家であった。
 日本人に身近な話をすれば、松下電器産業がハリウッドの大手映画会社MCA(ミュージック・コーポレーション・オブ・アメリカ)を買収し、ソニーに続いて日本人がハリウッド乗っ取りに動き出した、と騒がれたこともあったが、ハリウッドを生み出し、今日もその人材を掌握しているロスチャイルド財閥にとって、結局は「買収したが何ひとつ日本人には手の出せないハリウッドだった」という落胆の言葉を吐きながら、惨めな撤退のラベルを貼られてしまう。ハリウッドはハリウッドであり、その本家は、あくまでもカール・マルクスの資本論の奥深くに隠れている。
 マルクスの結婚相手は、イェニーことヨハンナ・ヴェストファーレンという女性で、こちらはかつてのヴェストファール家から成り上がった新興貴族だが、新興とは「大金を持っているので上流社会に認知された」ということを意味していた。
 従来のマルクス伝説でこれらのことがほとんど語られていないのは不思議だが、妻イェニーの腹違いの姉の家系は、母方のおじが大蔵大臣フェルトハイムであった。このおじさんは、間違っても共産主義などという危険な思想の持ち主ではなかった。
 フェルトハイム家をさらにくわしく見れば、ラスプーチンが暗殺される二ヶ月ほど前に、当時ドイツで最大の企業、そして世界最大の化学コンツェルン「IGファルベン」の創業者デュースベルクの娘と結婚していたのである。IGファルベンとは、ドイツ語で「染料シンジケート」を意味するつまらない社名だが、当時の染料は、繊維工業の化学染色から出発した有機化学の代名詞、つまり最も華やかな近代産業のシンボルであった。IGフェルベンは、デュースベルクの死後ナチスによって掌握され、アウシュヴィッツの収容所を経営したことであまりに有名である。現代ドイツの三大化学会社バイエル、BASF、ヘキストが一社に合併され、IGファルベンと呼ばれたのだから、その資本力はドイツの国家経済そのものであった。
 ~中略~ つまりマルクスはユダヤ人であり、、当人がナチスに関係するはずはなかった。また、彼は1883年にこの世を去っていたので、マルクス一族フェルトハイム家と世界最大の化学コンツェルン創業者デュークベルク家の結婚は、ロシア革命前夜の1916年、マルクス死後30数年目の出来事になる
 さらに、マルクス・ファミリーは、このように生前にも大金を動かし、死後にも大金を動かす財閥のなかにあり、それもこれ以上ないという巨大財閥の真ん中に生きていたのである。これが『資本論』の由来であった。

マルクス-彼が図書館や自宅で『資本論』を練り上げるのを、マルクスの支持者である親友のエンゲルスが資金面においてマルクスを支えたともいわれており、あたかも労働者と同じ貧窮の中から生み出したと思われがちだが、彼の妻や従兄弟や友人に代表されるように裕福な貴族社会の一員としてのマルクスの姿が浮かび上がってくる。現実的にも、研究なり学問に没頭できる立場というものはその様なものだっただろう。そして、彼のすぐそばに金貸しの存在が見え隠れしている。
 
 
ソビエト=共産主義の歴史を見てみると [4]、金貸したちは深く彼らと関わってきていることを示唆するが、労働運動と金貸しの関係はどの様なものだったのだろうか?
 
 
by コスモス

[5] [6] [7]