画像は、チェルノブイリ原子力発電所の今
前回記事に引き続き、原発のエネルギー収支に関する記事を引用します。
原発は、あくまで石油文明の申し子に過ぎない、という近藤邦明氏のホームページ「『環境問題』を考える」(http://env01.cool.ne.jp/ [1])からの引用です。
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現在は動力文明という観点からは石油文明の時代である。その謂いは、『大部分の社会システムが石油エネルギーの消費によって成立している』ということである。基本エネルギー資源が石油であると言っても良い。
これに対して異論があるかもしれない。例えば、日本において電力供給において第一位は原子力であると。では日本は原子力文明か?答えは単純である。原子力発電を全て廃止しても、社会システムは成り立つが、石油を使わなければこの社会は全く成り立たないのである。つまり、原子力発電は石油文明の下の一技術であって、石油文明を超えるものにはなりえないのである。
(中略)
社会システムを動力文明として捉える場合、その基本エネルギー資源になり得る必要条件の一つは、あるエネルギー資源が、その資源の持つエネルギーだけで自らを拡大再生産することが可能なことである。(産出エネルギー量)/(投入エネルギー量)を「産出比」と定義すると、この条件は、産出比>1で表される。産出比の大きいエネルギー資源ほど優れたエネルギー資源と言うことが出来る。
では、原子力発電は、石油火力発電と比べてエネルギー産出比は優れているといえるのか?下記のシミュレーションをご紹介したい。(室田武著「新版原子力の経済学」日本評論社,1986年発行)
試算は、室田氏によるもので、「米国エネルギー研究開発局ERDAが行った100万kW級の加圧水型軽水炉の試算をもとに、実際の原子力発電所の操業実態を考慮した補正を行ったもの」。グラフはブログ筆者が作成。
原発が廃炉までに産出するエネルギー総量…26.1兆 kcal
この産出量に対する石油の投入量は78.3兆
産出比=0.333
原発が廃炉までに産出するエネルギー総量…26.1兆 kcal
この産出量に対する石油の投入量は510.3兆 kcal
産出比=0.051
26.1兆 kcalを産出するために必要な石油の投入量は、74兆~87兆 kcalになる
産出比=0.35~0.3
結局、原子力発電を行わずに、直接石油火力発電所で燃料として使用した方が石油の節約になるという結果になる。原子力発電は石油と資源を浪費するだけのシステムである。蛇足であるが、原子力発電は同一の発電量を得るためには、石油火力発電より余計に二酸化炭素を排出するのである。
すなわち、原子力発電とは、石油消費を減らすのではなく、逆に増やしてしまうシステムである、ということです。だからこそ発電単価も高く、補助金など国の施策が無ければ成立しないのです。
昨年の金融危機以降、市場原理に対する信頼は地に墜ちたと言えるでしょう。
しかし現実には、市場はいまだ自らを拡大させるべく、こうやって国家に働きかけ、不要(というよりも有害)なものを生み出し続けている。
原発は、環境問題や資源問題の答えにはなっていないどころか、公害をまき散らしながら市場の延命に寄与しているだけ、という姿が浮かびあがってくるようです。
※原発のエネルギー産出量/投入量については、後年数値が改訂されたようなので、その値とそれに対する近藤邦明氏の注釈を掲載しておきます。
註1)その後、朝日文庫として改訂・出版された「原発の経済学」(1993年)では、試算の仮定が見直された。改訂された数値は以下のとおりである。
廃炉までの産出エネルギー総量 608億kWh(52.2兆kcal)
原発における投入エネルギー量 81.1兆kcal(保管期間24000年)~513.1兆kcal(保管期間240000年)
石油火力における投入エネルギー量 159.0兆kcal(産出比0.351)~174.8兆kcal(産出比0.3)
この改定値を使用すると、原発のエネルギー産出比は 0.10~0.64<1.0 になる。
註2)現実には、原子炉内で生成されるプルトニウムよりも重い元素の崩壊により、新たに生成される分があるため単純に毒性は半減するわけではない。10年後よりも10000年後のほうが放射性毒性は2倍程度に増加する。研究によると、天然ウランに対する相対毒性は、800年過ぎにいったん極小値をとった後に増加し始め、700000年後に極大値になる。これから考えると、試算の上限値として設定された 240000年は、むしろ短すぎる値と考えられる。