高貴な血筋のお坊ちゃんとして、首相になった麻生太郎。
漢字を読み間違えて叩かれても、失言して叩かれても、首相の椅子を投げ出さずに、(ある意味)頑張っている麻生太郎。
急落した支持率も、マスコミの世論捜査で上昇してきた麻生太郎。
その麻生太郎の性質はどうやって形成されたの?
まずは麻生太郎を生んだ麻生家について探ってみたいと思います。
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まずは、Wikipedia(リンク [1])から、麻生太郎の曽祖父である太吉について引用します。
・麻生 太吉(あそう たきち、安政4年7月7日(1857年8月26日) – 昭和8年(1933年)12月8日)は日本の炭鉱業者、実業家、政治家。麻生商店社長、石炭鉱業連合会会長、九州水力電気社長、衆議院議員、貴族院議員等を歴任した。
・1857年 – 7月、筑前国嘉麻郡立岩村字栢ノ森(現・福岡県飯塚市)に村の庄屋(今でいう村長)を務めていた父賀郎、母マツの子として生まれる。幼名は鶴次郎。
・1868年 – 1月、村に対する貸渡金595両余を免除したことにより倅代まで大庄屋格を申し付けられ、麻生の苗字名乗りを許される。
麻生グループHPの「麻生100年史」(リンク [2])によると、
麻生家は今では菩提寺の川島正恩寺が消失し、過去帳なども灰に帰したためその記録も残っていないのが残念だが、同家に伝わるところによると大化の改新(六四五)で活躍した藤原鎌足の血筋を引き、藤原一族の流れをくんでいるといわれている。そして麻生家の名前の由来をたどると先祖が遠賀郡麻生郷に花の屋敷を築いた縁からその地名をとり麻生姓を名乗ったという。この地方には鎌倉、室町のころから麻生の姓を名乗る一族がいる。このように麻生家は古い士族の末裔であったが、いつのころからか村を治める庄屋(今でいう村長)になっていった。
とありますが、 苗字を許されたのが1868年ということからも、武士の末裔という出自の真偽は怪しく、地元の実力者の一人であったと推測されます。それくらい、麻生太郎の父方の系譜はある意味平凡です。
ところが、明治以降の日本の私権時代の幕開けとともに、麻生一族は炭鉱王としてのし上がってゆきます。
その頃の炭鉱についての文章を見つけたのでご紹介します。
以下「耳を洗う」さんの「“麻生太郎”の水源~筑豊の炭鉱にみる」 [3]よりの引用です。
戦前の記録を中村政則著『労働者と農民~日本近代を支えた人々』(小学館ライブラリー)からみてみよう。
<石炭をぬきにして日本の工業化は、ほとんど考えることはできない。また、石炭は戦前日本の財閥のドル箱でもあった。
三井・三菱などの大財閥が巨大な富をきずきあげる基盤となったのも石炭産業であったし、麻生太吉・貝島太助・安川敬一郎が地元の炭鉱王として産をなし、筑豊(福岡県東北部)炭業界の御三家として名をはせることができたのも石炭のおかげであった。しかし、これら大財閥や地元炭鉱王の繁栄と名声は、疑いようもなく幾十万、幾百万とも知れぬ坑夫たちの、奴隷的労働のうえにきずきあげられたものであった。>
「富」の形成にはいろいろの方法があるだろう。ある種の特許品を開発して富をなした人もいる。戦時景気にのって軍への納入品で儲けた人もいる。農林畜産業で産を成した人もいる。「富」を築くにはそれなりの努力と運がつきものと言えるかも知れない。だが、一般庶民の場合は、宝くじで当てる以外、簡単に「富」が手にいる道理はない。コツコツ爪に火を灯すように子等の将来を思って貯えるしかないのだ。ところが、炭鉱王と呼ばれた事業主たちの「富」は、使役人を雑巾のように絞り上げて、本来ならかれ等のふところに帰すべき報酬を掠め取って築き上げられたものだった。中村政則は書いている。
<…炭鉱は、法の支配よりも、実力=暴力の支配する世界でもあった。
嫌な人繰り邪慳な堪場(かんば) 情知らずの納屋頭(なやがしら)
とうたわれたように、絶対の権限をもつ納屋頭が坑夫たちの生殺与奪の権をにぎり、坑夫を「半奴隷的」に制圧、支配していた。人繰りとは坑夫の入坑督励や欠勤者補充など、人のくりあわせをする納屋専属の世話人であり、勘場とは納屋での賃金会計所、あるいはその係の者である。明日をも知れぬ自己の生命に坑夫の気持ちはおのずとすさみ、炭鉱では飲酒・喧嘩・賭博・女遊びなどがたえなかった。>
要するに、力=暴力の原理が支配するヤクザな世界。そこに属する荒くれ者を纏め上げて面倒を見ていくのだから、並大抵のお坊ちゃんでは無理です。裏も表も知り尽くし、どんな事態にも対処していく、地元の大親分の一族となっていったのではないでしょうか。
麻生家はそうして財力をつけていくだけでなく、上品な血筋の女性を妻として迎え入れたり、逆に一族の女性を地位の高い男に嫁がせたりすることで人脈・血縁を拡げていき、太吉の曾孫の太郎の代になると、立派な血筋に様変わりしています。つながっているのは、 ざっと上げても、大久保利通、吉田茂、鈴木善幸、寛仁親王、とものすごい顔ぶれです。こうして、麻生太郎首相の基盤は形成されてきたのです。