
「天皇の蓄財」と言うと、その使途目的が何やら陰謀めいていて実態をぼやかしてしまう恐れがある気がします。
素直に「皇室財産」と言う方が、適切な表現ではないかと思います。
この間、「皇室財産」について色んな議論が交わされていますが、どのような形で蓄えられ、その内訳はどうなっているか?又、どう言う使途目的で使われたのか?色んな切り口があると思われますが、特に注目されるのは、「皇室財産が、日本政府による国策ではないか」との疑問です。
そこに、論点を絞ってみたいと思います。
そこで、皇室財産の構成を分析することによって、単なる皇室の財産と言うより国策に繋がるのではないか?
財産に繋がる企業や事業との関連から、日本政府との繋がりが、見えてくるのではないかと思われます。そうした仮説に元に皇室財産についてより深く追求してみたい。
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前回までのtennsi21さんの投稿による「天皇の蓄財方法」を以下にまとめると、
財産の構成内訳は;”>、①現金、②株、③土地、④諸外国との貿易収益(アヘンや移民政策)などである。
特に、②株の中身は、銀行株と諸会社株であるが、どう言った企業の株を保有していたのでしょうか?
又、それら銀行や企業が、国家事業とどの様に関わっているのかを調べて見たいと思います。
銀行株としては、日本銀行、横浜正金銀行、日本興業銀行、台湾銀行、東洋拓殖会社、帝国銀行の名が挙がる。
・日本銀行:明治15年に日本の中央銀行として開業する。正に国策銀行である。
・横浜正金銀行:明治12年国立銀行条例により外国為替銀行として設立する。
明治維新以降に急速に発展し、日本を国際金融面で支える外国為替銀行へと発展した。
1913年満州で横浜正金銀行券の金券発行を許可し多額な資金源となる。
・日本興業銀行:1900年に国内の重工業への資金を調達するための銀行として設立する。
戦前・戦中に、中島飛行機(現富士重工業)をはじめとする軍需産業への融資が、大半を占めていた。
・台湾銀行:1895年の台湾統治後、日本政府の国策により設置された台湾の中央銀行で、紙幣発行権を持つ特殊銀行でもあった。
・帝国銀行:1943年、三井銀行と第一銀行が合併して成立。日本最大の都市銀行となる。
※皇室財産に関わるこれら銀行は、その成立過程や事業の中身は、全て日本政府と関わり満州国立国、朝鮮中国支配や東南アジア支配、或いは軍需産業への投資等、国家事業に大きく関わっていることが伺える。
又、諸会社株としての企業は、東洋拓殖会社、王子製紙会社、関東電業会社、南満州鉄道会社、台湾製糖会社、日本郵船、大阪商船の名を連ねる。
・東洋拓殖会社 :明治41年に大日本帝国時代の朝鮮の植民地事業を進めることを目的として設立された国策会社である。日本から植民地国への移民と開拓をその事業として掲げた。1917年には、満州、モンゴル、華北、南洋にまでその営業範囲を広げた。
・王子製紙:三井系の企業で明治6年「抄紙会社」が設立され、明治26年王子製紙に社名変更される。
製紙企業が誕生した背景には、洋紙の輸入超過で国産化が急がれたのがきっかけとなり、明治4年(1871)、大蔵省紙幣司(すぐに紙幣寮と改称。現在の国立印刷局)が創設され、紙幣国産化、証券・郵便切手の製造などが一気に進められることになった。王子製紙は、満州で採れるパルプ材を支配した。
・南満州鉄道会社:通称、満鉄。日露戦争後の1906年(明治39年)に設立され、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の終結まで中国東北部(旧満州)に存在した日本の特殊会社である。鉄道事業を中心にするが、きわめて広範囲にわたる事業を展開し、満洲経営の中核企業となった。
・台湾製糖会社:1895年に終結した日清戦争での勝利により、日本は領土として台湾を手に入れた。
台湾製糖会社は、1900年(明治33年)に近代的粗糖工場として三井財閥(三井物産の主導)によって、台湾で最初に設立された製糖会社である。この台湾経済の中心に据え置かれたのが製糖業で、これが今日の近代的製糖業の基礎になった。
・日本郵船:日本を代表する大手3大海運会社の一つであり、1885年に三菱商事と共に三菱財閥(現在の三菱グループ)の源流企業。日露戦争の後,日本は満州への進出を本格化させるが、大阪商船、日本郵船は相次いで華北(北清)航路を拡充させ物資輸送に大きく貢献した。
・大阪商船:設立は、日本郵船より古く明治17年に「有限会社 大阪商船会社」が、住友家の総理人広瀬宰平らにより設立された。日清戦争以降、日本郵船と共に世界の航路を開設する。
明治29年に台湾航路、31年に揚子江航路、32年北支航路、33年南支航路と日本の権益拡大に追従する 形で航路の拡張が行われた。一方、日本郵船は同じ頃欧州・米州・豪州方面への航路を開設した。
アルゼンチナ丸は、日本の移民政策により労働者をブラジルに大量に運んだ船として有名です。
こうした銀行や国策企業の収益が、皇室財産として蓄えられていることは明らかです。
「風が吹けば、桶屋が儲かる」の例えではないが、「日本が諸外国に遠征すれば、天皇が儲かる」と言ったところでしょうか。
皇室財産の背後には、満州国や台湾・朝鮮支配と言った国策事業に大きく関わる銀行や企業の名前が登場する。銀行や企業は、国策事業を通じて日本政府と完全に繋がっている。
従って、皇室天皇-国策企業-日本政府が、繋がってくることが分かります。
当然、これら財産は、天皇の意思で自在に扱えなかったハズである。
日本政府の主導の元に国策事業で得た富を、皇室財産として蓄えていたことになります。
日本政府は、国策事業で得た財を何故皇室財産と言う形で残したのか?
皇室財産の使途(使い道)について今後、分析すれば明らかになるでしょう。
日本の天皇は、昔からあまり政治に対して口を出さず、実際の時の統治者を指名すると言う役割を持つのみであった。この仮説が、正しければこの指名こそが時の統治者にとっては正当性の根拠となるので極めて重要だったと解釈できます。
この、時の統治者こそが、明治政府から連綿と続く官僚たちだったのではないでしょうか。