『るいネット』で「指揮系統を廃止し、全てをネットへ」 [1]という提起がなされている。
注目すべき投稿は以下。
「不正・不祥事の続出は、指揮系統の末路の姿」 [2]
「みんなの当事者度を上げる仕組みを作ることが体制改革の真髄」 [3]
「トラブルの根底に指揮系統あり。全てをネットへ」 [4]
一方で、「指揮系統にはメリットもあるのでは?」という提起もなされている。 [5]メリットとして、指揮系統は意思決定のスピードが早い(効率的?)という点が挙げられている。
企業のトラブル・不祥事は日本の生産力低下に直結する問題であり、「日本を守る」という観点でも扱ってみたい。
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指揮系統の是非(要・不要)を論ずる前にまず考えるべきは、「指揮系統が必要になったのはなぜか?」という問題である。
以下、『キリスト教封印の世界史~西欧文明のダークサイド』(ヘレン・エラーブ著 徳間書店刊)からの引用。
(キリスト教)正統派のイデオロギーは、近代の商工業にも影響を及ぼした。企業は宗教的なヒエラルキーを真似て、組織の頂点に権威者を一人だけおくという形態をとった。そして、ヒエラルキーを守るには恐れ・統治・競争が必要だという正統派の主張を採用した。
しかし、近年では、まったく別の企業形態やイデオロギーを採用した会社が数多く登場し、その方が効果的であることが明らかになってきている。社員を高く評価し、株主の権利を与えたり責任を任せたりする会社の方が、ヒエラルキーに凝り固まった会社よりも高い利潤を生むことが多いのだ。企業内の熾烈な居層がもてはやされた時代もあったが、今では、企業内はもちろん、下請け会社とも協力して仕事を進めた方が効率的であることが分かってきている。
(キリスト教)正統派が影響を与えたのは、科学・哲学・医学・ビジネスだけではない。近代の社会構造や政治にも、途方もない影響を与えてきた。唯一至高神、ヒエラルキー・原罪の継承。正統派の教えからできあがる社会構造は、権力と権威がピラミッドの頂点から下へとくだるものである。
確かに、キリスト教の特徴は「神と個々人の契約」であると同時に、神を頂点とするヒエラルキーによって宇宙が構成されるという世界観である。この考え方は指揮系統の単線ラインとそっくりである。指揮系統状のヒエラルキーを正当化する理屈として、西洋ではキリスト教が使われたのだろう。それに対して東洋は、同じく序列原理の社会ではあったが、近代までは指揮系統のように個人と個人が上意下達のライン(単線)で結ばれることはなかった。
掠奪闘争によって本源集団(共認)が破壊された古代・中世の西洋では、個々人が一人の強者の力に従うという統合様式になった。だから個人→個人の単線ラインの指揮系統が生まれたと考えられる。一方、東洋では勝者集団が服属集団を支配するという形態をとった。従って東洋では序列体制の単位は集団である。日本でも朝廷(天皇家)-幕府(徳川家)-藩(大名家)・・・といった家集団の序列で社会が統合されていた。そして各家集団の中では御前会議(家老による合議制)によって物事が決められていた。
本源集団が破壊された西洋は個人を単位とした序列体制→指揮系統となり、本源集団が残存した東洋は家集団を単位とした序列体制(集団内部は合議制)となったのではないか。しかもこれは支配階級の世界の話であって、農民は合議制で村落共同体を運営しており、指揮系統などなかったはずだ(おそらく西洋でも中世までの農民の世界には指揮系統はなかったのではないだろうか)。
ところが西洋でも東洋でも、近代市場社会になって集団(共同体)が解体されてしまうと、企業も国家も軍隊も出自がバラバラの寄せ集め集団となり、それを統合するには合意形成(共認形成)の場を作るよりも上意下達の指揮系統の単線ラインで指令した方が効率的ということになった。概ね、これが指揮系統の成立・拡大過程であろう。
この仮説が正しければ、指揮系統とは集団(共認)破壊によって生まれた副産物だということになる。指揮系統はその起源から原理的に共認形成とは逆ベクトルを孕んでいることを暗示している。
それでも指揮系統が機能したのは、飢えの圧力⇒私権の強制圧力⇒序列圧力が強く働いていたからである。先進国において1970年頃貧困が消滅し私権が衰弱すると指揮系統も機能しなくなる。むしろ集団に不可欠の共認形成の阻害物となる。それどころが隠蔽や不正の温床となって効率的どころか、集団を危機に陥れるマイナス以外の何物でもなくなる。
これが『るいネット』での提起「指揮系統廃止」の論拠であろう。
(本郷猛)