- 日本を守るのに右も左もない - http://blog.nihon-syakai.net/blog -

ネットが新しい社会のモデルとなる

6210.gif「社会実情データ図録 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/index.html 」より転載させていただきました。

新聞・マスコミは終わっているのか

 新聞記事やマスコミの発信とは、一言で言えば政府や金貸しによる共認操作である。( http://blog.trend-review.net/blog/2008/11/000923.html [1] )けれど、かつては、そこから彼らの動向や意図を汲み、先手を打てば私権を確保できた。そういう意味で、新聞に書かれていることは私権の現実そのものであり、また、本源的な集団を失った市場の住人にとっては、それで十分であったとも言える。
ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。
&nbsp


下って、2002年、市場拡大の可能性もすでに潰え、社会全体がどうしてよいのかわからない「収束不全」の状態になると、既存の観念群をいかにこねくり回しても答えが出なくなる。新聞・マスコミはあっさり見捨てられてしまった。
同じ頃、ネットが共認形成のための道具として台頭しはじめる。さらに、2003年頃からはブログを使えば誰もが簡単に発信できるようになった。

ネットはマスコミに取って代わるのか

 しかし、素人たる個人が何かを書き続けることなど不可能に近い。現在でもブログで発信し続けているのは、素人ではなく、その道のプロ(orセミプロ)か、物書きの卵がほとんどである。
そこで、当「日本を守るのに右も左もない」ブログでは、普通に仕事を持つ素人達が、個人ではなく、複数によるリレー形式で書いている。メンバーの多くは、個人的な動機のみに頼るのではなく、参加者(協働者)同士の期待と応望をテコに、すでに3年以上(前身のWeb Trend Review時代からを含む)記事を書き続けている。
これは、個人のモチベーションではなく、参加者の期待と応望こそが新たな認識を作り続けるいく原動力となるという一事例である。これは、「るいネット」( http://www.rui.jp/ [2] )という新しい認識を生み出し続ける核サイトの存在が大きい。
こうした、マスコミに代わる共認形成の場があってこそ、認識は個々のものに留まらず、大きな社会共認たり得るものとなる。

ネットの言論は世論を作れるのか

 言うまでもないことだが、社会とは個人の集積によるものではなく、人と人との関わりによって出来上がっている。社会が閉塞感→窒息感に包まれている今、新しい認識とそれを生み出すための新しい人間関係が求められており、そうした意味でも、既存のしがらみをやすやすと突破できるネットの可能性は大きい。
今、家・学校・会社という、リアルな社会を形作ってきたモデルが壊れつつあり、人々は潜在意識で、新しい形(答え)を求めている。もし、ネットが、金貸しの支配を超えられるものだとしたら、ネットというインフラは新しい認識、および新しい人間関係をデザインできる可能性の持つ道具となる。それは、世論を形成するという段階を超えて、社会そのものの「ひな形」となり得るのである。
参考

[6] [7] [8]