- 日本を守るのに右も左もない - http://blog.nihon-syakai.net/blog -

『近代国家成立の歴史』4 教会と結託した金貸し支配の拡大~宗教改革~

近代国家成立の歴史』3 教会支配の拡大と金貸しの台頭 [1]の続き
シリーズ第4弾
前回 [1]は十字軍遠征を事例に、教会支配が国家を超えるほど拡大するとともに、金貸したちが台頭していく様子を紹介しました。
今回は教会と結託して宗教改革前後に引き起こされた金貸し支配の拡大と、新たな新たな金貸しの登場がテーマです。
↓続きを読む前にポチッとお願いします。


15世紀以降、商人(金貸し)として台頭してきたのでフッガー家です。フッガー家は神聖ローマ皇帝、スペイン国王、ローマ教皇などに資金を融通し、これらに大きな影響力を与えはじめます。このフッガー家はローマ教皇庁をトップとした金の流通網に食い込み、当時バラバラだった通貨に必要な両替商として介在し力と富を蓄えていきます。
ドイツ古都歴史連盟 [2]

一代で豪商となったヤコブ・フッガーは、まずヴェネチアとの交易で富をたくわえた。そしてその金をもとでにして、ローマの教皇庁にくいこんだ。中世のヨーロッパでは、ローマ教皇庁をトップにした支配網が、水ももらさぬピラミッド型のシステムで組みあげられていた。教会税、司教領からの税金、諸侯や金持ちからの献金、免罪符(後述)の売上金などは、このネットワークをつうじて、いっせいにローマにながれこんでいた。中世は、通貨がバラバラに造られていた時代だった。ローマ教皇庁は収入と支出をはっきりさせるため、地方の通貨(ローカル・カレンシー)と基準通貨(キー・カレンシー)のレートを定め、基準通貨で統一して計算せねばならない。地方通貨は、そのつど基準通貨に交換される。ローマに集められた金は総収入が確定すると、こんどは予算にしたがって、ヨーロッパ各地の司教や教会に送られる。基準通貨は地方の通貨にかえらえていく。ここに両替商が介在し、力と富をたくわえていった理由がある。フッガーはスエーデンからの送金を請け負ったことから、教皇庁とつながりをもった。当主のヤコブ・フッガーの兄は教皇庁の書記となり、便宜(べんぎ)をはかった。フッガーはハプスブルク家や大司教、有力な諸侯にも高い利子で貸しつけをおこない、巨大な利益をあげていった。

16世紀当時カトリック教会はこのフッガー家に対して莫大な借金を抱えていました。さらに自らの権威象徴である教会建築にも費用がかさみ、借金返済と教会費用を捻出するために免罪符(贖罪状)を販売しはじめます。そして、ここにフッガー家は大きく絡んできます。借金を返済させるために資金援助によって都合のよい司教を擁立し、教会に免罪符販売させるように仕向けたのです。
ドイツ古都歴史連盟 [2]

この免罪符の売上げをローマに送金したのが、フッガーたち大商人だった。1514年マインツの大司教の座をめぐって、莫大な政治献金がローマ教皇に送られた。その資金をフッガーがまず調達した。教皇はマインツの大司教に免罪符の発行を許可し、免罪符が発行された。免罪符の売上げの半分はフッガーからの借金の返済にあてられ、あとの半分はローマに送られた。

一方で「お金を払えば救われる」というこの免罪符の販売をめぐり、ドイツでルターによる宗教改革が引き起こされます。
るいネット [3]

しかし免罪符の販売は、その国の資金が教会に吸い取られることを意味するため、フランスなどは免罪符販売部隊が自国に入り込むことを許さなかった。そこでローマ教会は、皇帝はいるものの諸侯の対立が激しく分裂状態に陥っていたドイツに、免罪符販売部隊を送り込む。(当時のドイツは、「ローマの乳牛」と呼ばれるくらい、ローマ教会の資金源となっていた)
このローマ教会による免罪符乱発を見たルターが、ドイツで宗教改革(→ローマ教会批判)を始める。ドイツを食い物にしていたローマ教会への反発もあり、ルターの宗教改革(聖書第一主義)は、ドイツ庶民の間で強力に広がっていく。

宗教改革といえば純粋に教義の腐敗を正すといったイメージがありますが、その根底にはローマ教会による経済的搾取があったのです。
教会批判を繰り貸すルターを放置できないローマ教会は、当時の神聖ローマ帝国皇帝カール5世に解決策を命じます。 彼は皇帝選挙に出馬する際、ローマ教会と繋がるフッガー家から金を借りていたので、この命令を断る事が出来ませんでした。教会と結託した金貸しが国家をも動かしたのです。
カール5世は、当時政略結婚によって勢力を拡大し各国の皇帝を輩出したハプスブルグ家の出身ですが、フッガー家はこのハプスブルグ家に金を貸していました。ハプスブルグ家の領有地であるスペインはその後繁栄を極めますが、やがてアメリカとの交易によって経済力を蓄えた周辺諸国の台頭によって破産し、金を貸していたフッガー家ともども没落していくことになります。
時代は本格的な大航海時代へと移り、教会と結託した商人が影を潜める一方、ヨーロッパ域外との交易で直接国家と結びついて利益を上げる新たな商人達が登場するのです。
るいネット [3]

破産を宣言したスペイン・ハプスブルク家のフェリペ2世は、財政難を乗り切るためにポルトガルを併合(1580年)し、ネーデルランド(オランダ)を併合(1556年)。領有地を拡大し、重税を課していく。
フェリペ2世はネーデルランドに対して、カトリックを強制し重税を課したが、宗教改革から生まれたカルヴァン派の商人を中心として、独立戦争を起こす。10年以上の独立戦争を経て、オランダは独立。財政破綻に歯止めが掛からなくなったスペイン・ハプスブルク家は、歴史の表舞台から姿を消す。独立を果たしたネーデルランド共和国は、ヨーロッパ以外の地域との交易によって利益を上げる商人たちの手によって作られた国だった。
教会と結託した金貸しが姿を消し、国家に直接寄生した金貸しが国際交易を利益源に大きくのし上がっていった契機となったのが、宗教改革だったのである。

つづく

[4] [5] [6]