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日本支配の構造12 「東京裁判」とはなんだったのか?

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日本の戦後の歩みは、人々の豊かさ追求から工業立国そして経済立国へと発展を遂げてきました。
しかし、その背後にはアメリカの内政干渉を始め、マスコミを支配し日本の政治、経済に深く関わっている。
戦後の政界をはじめ財界、マスコミをも支配しコントロールするきっかけになったのが東京裁判ではないか?
日本支配の構造9 [2]
を受けて、この「東京裁判」について扱いって行きたいと思います。
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■東京裁判
東京裁判とは、今から60年前の太平洋戦争終結後に連合国によって行なわれた日本の戦前・戦中の戦争指導者28人を重大戦争犯罪人(A級戦犯)として米、英、仏、オランダ、ソ連、カナダ、ニュージーランド、中国、オーストラリア、フィリピン、インドの各国から選ばれた十一人の判事によって審理された軍事裁判で、東京市ケ谷の旧陸軍士官学校にて行われた極東国際軍事裁判のこと。
このA級戦犯、B級戦犯及びC級戦犯とは、ポツダム宣言第10項の戦犯処罰規程を根拠に極東軍事裁判所条例による戦争犯罪の類型(分類)を言い、A項「平和に対する罪」、B項「通例の戦争犯罪」、C項「人道に対する罪」に該当する戦争犯罪または戦争犯罪人とされる罪状に問われた戦争犯罪人を言うが、東京裁判での実際の区分は、国家の中枢にいて軍事、政治を動かしてきた人たちを「A級戦争犯罪人容疑者=A級戦犯」と言い、その他をBC区別なく「BC級戦争犯罪人容疑者=BC級戦犯」と区別された。
GHQは、1945年9月11日に東條英機など43名をはじめとして、1948年7月1日までに2,636名の逮捕令状を出し、2602名の容疑者を逮捕・起訴した。イギリス軍を主体とする連合軍東南アジア司令部は1946年5月の時点で8,900名を逮捕し、この他にソビエト連邦軍やアジア各国で逮捕されている。正確な容疑者の逮捕総数を示す資料はないが、第一復員局法務調査部では1946年10月上旬の時点で約11,000名が海外で逮捕されたと推計していることなどから、その数が1万名をはるかに超すものと考えられている。
しかし、この裁判は、勝者が敗者を裁くと言う一方的な裁判であり裁判そのものの不当性を語る者もいる。
この東京裁判に立ち会ったインドのパール判事は、元A級戦犯は無罪と主張し、米軍の原爆投下も非難し裁判の不当性を訴えた。米軍は、落とさなくても良かった二つ原爆を広島、長崎に投下しました。その犠牲者は、約30万人にも上ります。
また、この二つの原爆は、その効果を確かめる為のテストで落とされたと言われています。
勝者側のアメリカ原爆こそが、民間人に対する無差別殺戮でり、「人道に対する罪」そのものではないのか?
又、戦争とは、国際法に基づくものであり、そもそも裁判に掛けられるものなのか?や日ソ不可侵条約を破ったソ連こそ国際法違反・・・などの日米弁護士からの証言もあったが、そうした声はことごとく黙殺された裁判であった。
この東京裁判の法廷は、46年5月3日に開廷され、2年6カ月後の48年11月12日(開廷から判決まで924日間)に刑が宣告された。48年11月12日、起訴された28人中、裁判途中で死亡又は病気免訴となった3人を除いて25人の被告人全員が有罪となり(55の訴因中10の訴因を認め、「満州事変から太平洋戦争にいたる日本の軍事行動を侵略戦争」と断定し、被告の多くに「侵略戦争の共同謀議」を認定)、その内絞首刑が7人、終身刑が16名、禁錮刑が2名の判決が下された。
絞首刑に処せられた7名とは、東條英機、板垣征四郎、土肥井原賢二、松井石根、木村兵太郎、武藤章、広田弘毅らであるが、国家の中枢にいた軍事、政治を動かしてきた人たちである。
その罪とは、ハワイの軍港真珠湾を不法攻撃及び米国軍隊と一般人を殺害した罪、中国侵略・米国に対する平和の罪、
捕虜及び一般人に対する国際法違反(南京大虐殺)の罪、英国に対する戦争開始の罪で処刑されました。
改めて、この東京裁判を見ることで「何故?東京裁判では、帝国陸軍の軍人が処罰の対象とされなければならなかったのか?」と言った疑問が湧いてきます。
戦争責任者とは一体誰なのか?
当然、日本の最高責任者である昭和天皇や戦争に参加した帝国海軍にもその責はあった筈である。
裁判の不当性と言う意味においては、絞首刑の判決を受けた7名が陸軍中心の傾向があり、海軍関係者がいないことも今後分析しておく必要がある。⇒(陸軍の歴史や海軍の歴史)
又、この罪状の中身についても調べておく必要がある。
このことは、仮説ではあるが死刑となった帝国陸軍をA級戦争犯罪人として祭り上げる(矛先をそちらに向ける)ことで、戦後アメリカの日本支配において『役割を与えられた生存者』に世論の目が及ばないようにカモフラージュする為の『アメリカの策略』と言うものが浮かび上がってくるのではないか?
現に、現在でも戦争関連の報道や番組や映画は、例外なく“裁かれなかった人々”をテーマにはしていない。
この『役割を与えられた生存者』こそが、「裁かれなかった人々」であり、戦後アメリカの日本支配構造に深く関わってきた人々ではないか?
例えば、一度戦犯容疑を掛けられたが後に不起訴(無罪)となった岸信介、正力松太郎、鮎川義介等、政界や財界の大物たち...
逆にそうした人々に目を向けることで、戦後アメリカの日本支配構造を明らかにさせる大きな鍵を握っていると思われる。
今回は、プロローグに留め今後、戦犯容疑を掛けられたA級戦犯者や東京裁判に関わる人物を洗い出し、戦前・戦後の史実から国内での動き或いは諸外国との関わりについて紹介する。
そこで、「裁かれなかった人々」をテーマに、戦後アメリカの日本支配構造についてシリーズで紹介して行きたいと思います。

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