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権利って何?自然法の歴史からその成立過程を読む(1/2)

現在、社会統合上の諸観念の根幹に【権利】観念があります。
この【権利】は日本国憲法の中でも犯すことが出来ない永久の権利【基本的人権】として最基底の観念に鎮座しています。
そしてこの権利観念を土台に自由な市場(私益の最大化を目指す権利)があり、福祉政策(生まれながらにして平等である権利)が行われています。
しかしこの自由な市場が環境破壊を引き起こし、福祉の結果国の借金800兆を生み出し、これらの解決策が一向に見つからない現在、これら権利観念そのものが何かおかしいのだという疑いを持ってみる必要がありそうです。
この権利観念には
【本来当然あるべきもの】
という前提があるのですが、それほど重要なものならば、当然そう言える根拠が無ければなりません。
実は、権利観念がどのように成立してきたか?を振り返ると、自然法(自然状態)という観念に行き着きます。
ここでは、自然法観念の歴史的変遷を見ることで権利観念とは何か?またその根拠はどのようなものか?を読み解いてみたいと思います。
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自然法とは?
http://jidaijuku.s23.xrea.com/shizen.html [1]

自然法とは、国家が制定する実定法に先立って人間社会を強制や権威なしに自ずと成り立たせている基本的な法と正義の規範にほかならない。

つまり国家による強制的な法(実定法)以前に、本来自然に成立する法や規範とは何かを追求した観念ということです。
そしてこれら本来自然にあるべき法や規範(自然法)が国家の実定法(強制)に組み入ることで、国家統合に利用したと考えられます。
仮にそれが強制的であっても、それが本来自然の摂理なのだ。と言われれば誰も反論出来ません。
自然法の変遷
大雑把にその変遷を見てみます。
http://www.ken-group.net/paperom.htm [2]より(一部要約)

1.古代ギリシャ
自然に対する人間の支配がそれほど高水準ではなかった。自然は人間にとって何かある超越的なものとして,人間はそれに支配され服従すべきものとされていた。
ギリシアにおける古代から民主制ポリスに至るまでの思考の一般的な傾向として,万物の運動や運行を司るものは超自然的秩序であり,この超自然的秩序の一部が社会秩序として現れるという考え方を指摘できる。つまり,法的なものも,社会秩序の根本が超自然的秩序であるがゆえに,その部分的な現象と捉えることになり,それとともに,社会の法則としての法は,自然の法則の一部に位置づけられることになる。

つまり文字通り自然法則の中にあるべき姿を見出そうとした側面が色濃い。

2.古代ローマ
彼らの自然観は,現実的なものをすべて物体とみなすものであるが,同時にそれら存在するものには紳的なもの,すなわち普遍的なロゴスがその根本にあると考えた。このロゴスとは,万物を導く神の摂理であり自然の法則であると同時に,理性的存在者である人間にとっては正・不正の規準となるものである。

ギリシャ時代を引き継ぎつつも、神の摂理とあるように、宗教世界の影響が見え始める。

3.中世キリスト教社会
中世では,神の創った規範の一部を人間が有し,その理性によって発現されたものがまさに自然法であるということになると思われる。
自然に基づくルールである自然法も,神の秩序が人間の社会に適用されたもの,すなわち,人間から超越している存在に根拠をもつものと考えられていたのである。

キリスト教世界で神の秩序世界が自然法であると見なす事で、神の世界の正当性を根拠づけようとしたようだ。
(2/2)に続きます

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