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日本支配の構造4 阿片戦略1~後藤新平~

Posted By gabor On 2008年3月14日 @ 11:45 PM In 04.日本の政治構造 | 10 Comments

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ケシの花                      ケシ坊主
日本の支配構造1~3で、日本の近代化の過程が概ね見えてきたと思います。その中にも記載がありましたが、日本の戦争の歴史の中で、避けては通れないものがあります。それが【阿片】です。
一般的には、阿片と言えば、三角貿易を行っていた東インド会社(英国)に対し阿片輸入禁止令を出したことに端を発した【阿片戦争】を思い浮かべる人が多いと思います。
縄文と古代文明を探求しよう!【イギリス東インド会社②:儲けを求めて、貿易→徴税権(征服)→アヘンの三角貿易へ】 [1]参照
この英国と並んで、阿片帝国と呼ばれる国があるとすれば、戦前の日本がそれにあたると思われます。なぜ阿片帝国とならざる得なかったのかは戦争という究極の私権闘争を経験していく過程にヒントが隠れています。
日本は、日清戦争により、遼東半島・台湾・澎湖諸島を譲渡され、賠償金2億両(テール:約3億円)を得た。また、日露戦争では、満州南部の鉄道及び領地の租借権が得られ、国策会社である南満州鉄道株式会社を設立、後に満州事変を経て、満州国を建国したという歴史がある。この戦争の中では、日本は日本以外の国を占領 :twisted: することになる。それが、台湾であり、満州であった。この占領 :twisted: において避けては通れない人物がいる。それが大風呂敷の後藤新平である。彼はどのように統治 :twisted: していったのだろうか?そして阿片 :twisted: との関係はどうなっているのかを調べて見ました。
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後藤新平と言えば、、台湾総督府民政長官時代の阿片漸禁策がよく知られいます。当時、中国本土同様に台湾でも阿片の吸引が庶民の間で常習となっており、大きな社会問題となっていたようです。これに対し後藤新平は、阿片を性急に禁止する方法はとらず、まず阿片に高率の税をかけて購入しにくくさせるとともに、吸引を免許制として次第に吸引者を減らしていく方法を採用したようです。この方法は成功し、阿片患者は徐々に減少しました。1900年には16万9千人であった阿片中毒者は、1917年には6万2千人となり、1928年には2万6千人となったようです。
後藤新平は、もともと医師であったので、医療原料として重要な阿片に関する知識はあったと思われます。そんな彼と阿片との関係を調べていると、日本の阿片王:二反長音蔵 と 星製薬:星一と関係があったようです。
父の伝記~星新一・一・二反長半・音蔵 [2]より抜粋引用します。

「戦争と日本阿片史」は副題に「阿片王二反長音蔵の生涯」とあります。にたんちょうおとぞうは、半の父親で、今の大阪府茨木市でケシの栽培をしていて、その栽培普及に尽力したことから阿片王と呼ばれました。ケシは花が咲いたあとの未熟の果実(ケシ坊主)に切り傷を付けると乳液(阿片汁)が取れ、これを乾燥させると生阿片・しょうあへん、になります。これから麻薬の阿片煙膏やヘロイン、薬のモルヒネや燐酸コデインが作られます。戦前戦中と日本ではケシの栽培が盛んで、和歌山県は全国一の生産量を誇り、乳液採取の時期には学校は「ケシ休み」になり、子どもも手伝ったそうです。
星一は明治6年に今のいわき市の農家に生まれ、独力でアメリカに留学し、帰国後、星製薬株式会社を作りました。星製薬は日本で初めて塩酸モルヒネの精製に成功し、その原料の生阿片や粗製モルヒネは、当時日本領の台湾総督府から払い下げられました。なぜ総督府が生阿片や粗製モルヒネを持っているかというと、総督府がアヘンを専売していたからです。表向きはアヘン吸煙を禁止し、アヘン中毒者には総督府が特別にアヘンを分け与えます。したがって中毒者は価格が高くても総督府から買うしかない訳で、莫大な利益を総督府にもたらします。ですから台湾では、中毒者の漸減主義を掲げますが、中毒者をなくす気はなく、アヘン専売は、総督府の財政の根幹を成していきます。その一部をモルヒネ用に払い下げた訳です。この「漸減主義」を伊藤博文内閣に建白したのは、時の内務省衛生局長・後藤新平です。こうして後藤は総督府衛生顧問となりました。その後、彼が星一に払い下げを斡旋するのです。
また、二反長音蔵もケシ栽培を管轄する内務省衛生局長・後藤新平に建白書を提出します。台湾を専売制にするには、アヘンを輸入しなければなりません。インド・イラン・トルコなどから台湾に輸入されるアヘンは明治31年では149t・171万円になりました。音蔵はこのアヘンを日本国内で自給すれば、貴重な外貨の流出を防げると建白し、そのケシ栽培を自分たちにやらせてくれと願い出て、認可されました。つまりアヘンの専売制は、台湾でのケシ栽培禁止とセットになっていたので、音蔵はそこに目をつけたのです。
 こうして、音蔵たちの作ったアヘンは、台湾総督府に納められ、それを使って星一はモルヒネを製造し、音蔵・新平・一は旧知の間柄になっていきました。

星一 [3]より抜粋引用します。

明治三十五年、星一は雑誌経営に苦心し、資金調達のために一時帰国。杉山茂丸に相談を持ちかけ、その紹介で台湾総督府民政長官の地位にあった後藤新平を知る。後藤の好意によって五千円の資金を得た星は、米国に戻る前に後藤に伴われて台湾へ渡った。星一と後藤新平、そして台湾。星の人生を語る上で欠くことのできない転機であった。
星製薬が、その命運を決することとなったアルカロイド製品の研究に着手したのは大正3年のことであった。その背景には、我国の台湾統治と、台湾における民政を司った後藤新平の存在があった。
後藤新平は明治三十一年に台湾総督府民政長官(就任当時の官名は民政局長)に就任した。日清戦争後の下関講和条約を受けて台湾が日本に帰属して以来三年、台湾島内ではまだ頻繁に反乱が起こり政情が安定しない時期の就任であった。知将の名をほしいままにした児玉源太郎台湾総督の下で、後藤新平が打ち出した様々な政策のひとつに、阿片漸禁政策があった。当時約十七万人もの阿片常用者を如何するかは、台湾統治上の大きな課題であったが、後藤はこれに対し、新たな中毒者の発生を予防する傍ら、常用者に対しては総督府の管理下において阿片の販売と購入を認める政策を打ち出したのである。当時日本において阿片を製造する事業者はなく、専らインドやペルシャなどから輸入するのみであった。折から欧州において第一次世界大戦が始まり、阿片の輸入に支障を来し始めたとき、星はモルヒネの抽出に成功し、台湾の阿片専売局から粗製モルヒネの払い下げを一手に引き受けることとなった。前述した星と台湾、そして後藤新平というトライアングルが動き出す嚆矢である。
星は続いて、キニーネやコカインの製造にも成功し、アルカロイド薬品の製造に関して、国内の製薬業界を主導する地位を得ることになる。更に星は、台湾の専売局への生阿片納入についても、大財閥の中核企業である三井物産と争ってこれに勝利するなど、製薬のみならず我国実業界の風雲児たる地歩を確立し始めていたのである。

星一は、上記のように後藤新平から資金援助を受けて、直後に後藤と台湾に同行し、1ヶ月ほど仕事を手伝ったようです。また、1906年の後藤のアメリカ視察にも同行し、3ヶ月間つきっきりで案内したようです。
以上が台湾時代の後藤新平と阿片との関係です。
後藤新平は、台湾でのインフラ整備が高く評価されていますが、その資金はどこから調達していたのでしょうか?当時、植民地・占領地を支配(=統治)していこうとしていた国々は、必ずと言っていいほど阿片専売化による資金調達と阿片漬けによる国の不能化という手法が取られていました。日本もこの時代は、国外の占領に力を注いだ時代であり、武器等の資金調達についても、外国からいろいろ借入ていました。戦争とは資金力=軍事力となるので大きな資金が必要であり、台湾や後の満州国を占領地として統治していくためには、相当な工夫が必要であったでしょう。まして、当時の日本にはそんな資金はなかった。そこで、他の諸外国が取った方針である阿片政策を日本も真似て、同じく遂行したのではないかと思われます。
戦争という最大の私権闘争の姿の前には、私権の力で対抗するしか生きていくすべがなかった時代とも言えます。江戸時代崩壊後の明治維新から、日本国外に目を向けた途端、私権闘争の真っ只中に突入していくことが時代の流れからも読み取れます。これが、開国して以降、発展を遂げてきた日本の近代史の一部であることは忘れてはならない歴史であると思います。
by 復讐の叫び


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[2] 父の伝記~星新一・一・二反長半・音蔵: http://www.elf-book.com/07-visitor/visitor.contents0504.html

[3] 星一: http://www1.kcn.ne.jp/~orio/main/hoshi.html

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