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マスコミ支配からの脱却基盤~代償収束から実物収束への大転換

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2008年02月08日の記事「第一権力化したマスコミ ~娯楽史~」 [1]には、マスコミ支配から脱却するためのヒントが隠されている。
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大宅壮一が提起した『(TVによる)一億総白痴化』。それは事実であったと言わざるをえない。「テレビというメディアは非常に低俗な物であり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう」ということだが、それはTVに限らない。映画を始めとする映像文化全体、さらには漫画などにも当てはまることである。
脳内に快美刺激を与えるのが映像だが、そこで刺激されるのは本能回路である視覚・聴覚だけであり、観念回路は使われない。視覚・聴覚に訴えかける映像では、見ただけでわかったつもりになってしまい、それ以上頭を使わない。大宅壮一氏の指摘にあるように中身の低俗さがそれを加速するが、本質的には映像による感覚刺激(⇒それ以上は頭を使わない)が人々の思考能力を低下させてきたのであり、この思考停止こそマスコミによる世論支配を可能にしてきた土台だったのだ。
では、マスコミ支配から脱却する可能性はどこにあるのか?
確かに20世紀は映像の時代である。1950年代までの映画・1960年代のテレビに人々は熱狂した。なぜか?
当時の人々が熱狂した主な対象は、物語やドラマなど非現実の架空世界や芸能などの感覚刺激である。私権原理⇒序列原理によって現実の共認充足の可能性が阻害されていた1970年以前は、現実には得られない共認充足の代償物として、(自分の頭の中だけを充足させるために)架空の映像世界や感覚刺激に没入した。それが、人々が映画やTVの登場人物に感情移入(同化)し涙した理由、芸能などの感覚刺激に酔った理由である。「紅白歌合戦」にさえ人々は同化し、「赤勝て」「白勝て」と応援したものである。
ところが現在は、感情移入どころか若者を中心にTV離れが進む一方。そして、TVを離れた人々は向かっているのは、現実世界の仲間であり、勉強や仕事など現実の課題そのものである。
つまり、私権原理から共認原理へ転換したことによって、現実の共認充足の可能性が開かれた。その結果、充足の対象がTV映像などの代償物(と感覚刺激)から現実の対象へと180度転換したのだ。代償物から実物へと人々の欠乏が大転換し、同化対象が代償物から実物へ転換したこと。これがTVや映像離れの根本原因である。
そして、人々の意識は、現実の仲間から勉強や仕事などの現実の課題へ、さらには「KY」という言葉に代表されるように自己中封鎖⇒規範形成に向かいつつある。早晩、「現実の社会をどうする?⇒どうなっている?」という意識が顕在化する。そうなれば、マスコミの代償映像や感覚刺激は相手にされなくなり、ましてや捏造報道や国益を売り飛ばす従米報道を続ける限り、反マスコミの潮流が顕在化するのは日の目を見るより明らかである。
このことは現在進行中の出来事であり、これが人々がマスコミ支配から脱却する基盤である。
(本郷猛)

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