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「 どうする?マスコミ支配」15~【いつでも充足】はなかなかやめられない~

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最近芸人と呼ばれる人たちがテレビに溢れています。
番組が終わってみれば、何が面白かったのか記憶に残らないものが多いように思います。
なにかもてはやされているような気もしますが、なんでこうなったのでしょうか。
るいネットに関連投稿がありました
観客化、市場化と「いつでも充足」 [2]抜粋

・・・観客化を、極限まで推し進めたのがメディアと言うのは、良く理解できます。 
しかし逆にこの人々の常時解脱の欲求=いつでも手軽に充足したいという欠乏こそが、限りない観客化と匿名社会化を推し進めた有力原因とも言えるのではないか、と私は思います。
実際市場社会の本格化とともにこの「いつでも解脱充足」出来る装置が拡大してきました、古くは新聞、本、映画、さらにレコードやラジオ、そしてそれらの集大成がテレビというメディアでしょう。
これらはより手軽に、より感覚刺激を強めるベクトルで進化してきました。これらの媒体は一方的であり元もとの解脱にあった(お喋りにさえある)、参加充足は殆どありません。しかし、大衆は明らかにより手軽にいつでも解脱充足を楽しめると言う方向に選択を行ってきた事を意味します。
さらに遡れば、人々が観客化した原因は、参加充足の場=「まつり」の場の崩壊←共同体の崩壊(村落共同体ではまつりは解脱の場として既に矮小化されかつ、非日常のものになっていましたが)にあり、その原因は市場による侵蝕にあります。
 
ところで市場が登場する事によって、金を持つものは、生産(という苦労)をしなくても「いつでも消費充足」出来るというそれまでの自給自足とは全く異なる構造が生まれました。
つまり考えてみれば、この市場そのものも、「いつでも(解脱or消費)充足」という欠乏=需要を母胎として発展し拡大したという事さえ言えるかもしれません。
どうも結構この「いつでも充足」の問題は根が深そうです

続く
 


>・市場の駆動力(蘆原健吾さん) [3] 抜粋

私権社会では、制覇力である金(権力)を持ってさえいれば、つらく苦しい目に遭わなくても「いつでも充足」がむさぼれます。身のまわりの世話から食料生産まで、あらゆる“生産(という苦労)”は、金や権力にものを言わせて貧しい者(金を欲しがる者)にやらせればいいからです。“金を持つ者”はさらに、「いつでももっと多様な充足をむさぼれるようになりたい」という欠乏を肥大させていきます。そしてそれに応える、高級娼婦、サーカス、音楽家・芸術家、などのおかかえ芸人を身辺に侍らせます。
権力機構にくい込んでいる人々は、己の私権ヒエラルキーの上位層を観て「もっと金を稼げばもっと多様な充足をむさぼれる、そうなりたい」という意識になる。金を稼ぐためには当然、“金を持つ者”が望んでいる新たなモノやサービスを開発・開拓して提供することに頭を使う。こうして市場は発達してきたのではないか・・・・>

たしかに最初はこの【いつでも充足】は権力者とその周辺の人のものだったはずです。それがどの家にもテレビが行き渡り、この「いつでも充足」は、大衆化され一般の人々にもどんどん供給されていきます。
それが芸能(歌謡、演劇、スポーツ等)の大衆化路線であり、最近ではそれも大衆化して単なる芸人(芸能レベルまで行かない)と呼ばれる人たちが溢れています。
供給するマスコミ側は人々の欠乏を刺激して常に需要を拡大させていくという”供給者の論理”がある。消費側ももっと「何か面白いことはないか?」と思っていて、疑問を抱くまでもなく、次から次へと楽しいこと=「笑い」が供給されてしまいます。
友人との表面的な話題づくりはできるかもしれませんが、現代はこうした刹那的な充足ばかり求めているのではと思います。
本当は「もっと面白い話はないのか?」「次はどう展開されるんだ」「結論は何なんだ」「なんでそうなるんだ」というように双方向の追求ができてこそ、答えに近づくのでは・・。
さらにそれが答え=新しい認識が豊かになるほど充足度も高くなる。このような参加充足の場
が今求められているのだと思います。

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