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読売新聞の歴史~正力松太郎という男

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左から後藤新平、正力松太郎、渡邉恒雄です。
この人たちが、今ある読売新聞の歴史を作ってきた人たちと言っても過言じゃないでしょう。
読売新聞(渡邉恒雄会長)一連の「大連立報道」は、福田首相側から持ちかけられたことは知りながらも、敢えて小沢代表が持ちかけたと捏造報道をした。渡邉恒雄がその仕掛け人であることは間違いないことがハッキリしてきた今、改めて読売新聞の歴史から押え直していく必要がある。
「読売新聞・歴史検証」 [1]より、歴史の流れを抜粋してまとめた。
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1874年 合名会社「日就社」から「讀賣新聞」創刊。
1917年 商号を「日就社」から「讀賣新聞社」に改称。
1919年 東京市長 後藤新平 欧米視察でフーバー会談(後の31代大統領)、タフト前大統領(27代)を訪問。※「大調査機関設立の議」建白書を政府に提出(CIA(中央情報局)のような強力な組織の設立構想)
1924年 経営難から、後藤新平の仲介で、正力松太郎が読売の経営権の買収、社長に就任。正力松太郎は前警視庁警務部長。資金調達は後藤新平らにより行われた。後藤新平・河合良成が番町会の郷誠之助に話を持ち込み、同意され買収が決定された。
1944年 岸信介の推薦で正力松太郎、貴族院議員に。
1945年 正力松太郎がA級戦犯容疑で逮捕。巣鴨拘置所に収容される。
1950年 アメリカと連携し全国放送を行う計画を立て、同時に公職追放を占領軍司令部(GHQ)に働きかけた。
1951年 正力松太郎の公職追放解除。で、読売新聞に復帰。
1952年 日本テレビ放送網㈱(正力が社長)が日本の第1号テレビ放送免許取得
       
1953年 日本テレビを開局。「街頭テレビ」方式を採用。力道山ブームで、テレビの普及、CMスポンサーの開拓という一挙両得手法を編み出した。
             
1955年 衆議院議員初当選。鳩山派に入る。
1956年 原子力行政の推進に力を入れ、科学技術庁を創設、初代長官に就任。
1957年 岸信介内閣で国家公安委員長と科学技術庁長官・原子力委員長に就任。
1970年 第9代社長に務台光雄が就任。
1981年 第10代社長に小林與三次が就任。
1991年 第11代社長に渡邉恒雄が就任。
 政治によるメディア支配は、戦前の日本でも画策されていたが、堕落番組を革新的に利用したのは戦後アメリカに支配された日本が最初でしょう。因みに戦前のメディア支配を画策したと思われるのは、正力の上司であった後藤新平であるが、後に南満州鉄道総裁を務める後藤は、その後の内務大臣時代に正力を部下に持ち、ともに日本の諜報活動を行なっていたとされる(後藤は満鉄にも諜報機関を持ち、そもそも満鉄、内務大臣にはるか先立つ大正11年東京放送(後のNHK)の初代総裁でもあった。大戦直前の1924年に正力に読売新聞を買収させているのだ。
正力とは、どんな男でどんな事を実践したのか?

 正力は只の乗っ取り屋ではなかった。むしろ天才的な企画力を発揮し始め、新聞の大衆化を目指していった。いわゆる「三面記事」に力を入れ、センセーショナルな見出しを踊らせて、購読者を増やしていった。これにより讀賣は朝日・毎日と肩を並べる大新聞へと成長する。
~中略~
 その後の読売は、特徴的な姿を見せて行くことになる。内部管理は、正力自身が公言した独裁主義による日本の警察機構の上意下達式を真似た系統図で統制していくことになった。要所要所に配置された警視庁人脈が力を発揮し、労務支配を有利に進めて行った。
 紙面の方は、「エロとグロ」(エロティシズムとグロテスクネス)を積極的に扱うイエロー・ジャーナリズム化していった。加えて、日帝の帝国主義的侵略活動を後押しする御用新聞化していくことになった。具体的には、煽動主義的な戦争報道を通じて「聖戦」に加担して行くことになる。更に、「サツネタ」情報に強味を発揮し、優位な地位に立つことになった。これらの路線により読売は驚異的発展を遂げていくことになる。
 1929(昭和4)年、正力の誘いで元報知新聞の販売部長・務台光雄が入社し販売網づくりを手掛けていった。読売は拡張販売競争に勝利し続け、同時に権力のマスコミ支配を達成して行くことになった。

以上、「読売新聞・歴史検証」より引用しました。
 この正力という男、只者でないことがよく分かる。また、読売新聞の背後には、CIAからの資金調達が示しようにアメリカの力学が働いていたのは明らかと思われる。だから、自衛隊給油問題から郵政民営化見直し法案に対する圧力の働きかけとして、読売新聞が煽動したとみればスッキリする。(もともと読売新聞の生い立ちがそうであるが... 😈 )
もっと調べてみる必要があるが、正力松太郎という男が「鍵」ではなかろうか 👿
そして、その正力イズムの継承者が今回の仕掛け人:渡邉恒雄である 👿 👿

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