
90年代以降、日本で推し進められた「ゆとり教育」「個性教育」はアメリカの失敗策を導入したものらしい。前傾の和田秀樹氏の『国語力をつける勉強法』(東京書籍)からの引用。
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もちろん、日本の子どもたちが抱えている問題は、国語力の低下だけではない。周知のとおり、世界的な調査では、学力全般における低下が確認されている。こうした子どもの学力低下の問題は、社会に与える影響を考えるとその重大さがわかる。かつてアメリカでは、1980年代のはじめに、子どもたちの著しい学力低下が大きな社会問題になったことがある。それは17歳の子どもの13%が、読み書きがるくにできなかったり、割り算もできないというひどい状況だった。
これは当時のアメリカが行っていた、個性や創造性を重視した教育の結果であると言える。このような教育はたしかに一部の才能豊かな人材の育成に結びついていたのかもしれない。その一方で多くの落ちこぼれを生み出す原因になっていたのも事実で、読み書きや簡単な計算がろくにできない子どもたちは、社会に出てもごくかぎられた仕事しかできず、国家や自国の産業を支える戦力にはまったくなり得なかった。
それどころか社会の中で落ちこぼれていく中で、多くの子どもたちが麻薬や犯罪に手を染め、それが社会荒廃の原因になっていたのだ。つまり、国家や自国の産業を支えるどころか、逆に国の発展の妨げになっていたのである。このような視点であらためて教育問題を考えてみると、学力レベルの低下には、それこそ国力の衰退にまでつながりかねない深刻な一面があることがわかる。
実際、そのような負の影響が深刻な問題ととらえられたからこそ、アメリカは個性や創造性重視の教育を捨てて、子供たち全体が学力を向上させる道を選んだのだ。これはイギリスも同じである。ところが、日本はその反対に、アメリカやイギリスが「失敗だった」としてやめてしまった教育制度、すなわち「ゆとり教育」を進める道を選んでしまったのである。その結果、両国がかつて経験してきた、子供たちの学力低下をきっかけとする社会の荒廃を招いているのだから、これはまさしく愚の骨頂で、一国の未来を左右する重要な国策における大失敗だったと言わざるを得ない。
アメリカの失敗策であることがわかりきっていた「ゆとり教育」「個性教育」を、なぜ日本は推し進めたのであろうか?
7月9日の記事「アメリカと日教組の奇怪な野合の産物=ゆとり教育」 [1]によれば、アメリカの失敗策を日本に押し付けられた疑いもある。
(本郷猛)