
先の「教科書誤報事件」を思い出してほしい。あるいは知らない人は、よく調べて欲しい。
「侵略」という表現が「進出」に書き換えられた事実はなかったのに、これはマスコミの誤報であったのに、謂れなき非難・批判が世にまかり通るようになると、いつのまにか教科書検定に「近隣諸国条項」なるものが加えられ、結果的に日本の教科書の記述は外国に対する意味不明の「必要な配慮」に縛られることになったのである。
問題をすりかえてはならない。また、すりかえる者たちの口車に乗ってはならない。
今回の検定問題も、教科書では「未確定な時事的事項については断定的に記述しない」という当たり前の原則が貫かれただけなのに、「集団自決は軍が全く関与していないことはありえない」とか「教科書から沖縄戦の真実を歪曲・改竄することは断じて許されない」とか「戦争のための教育を許すな!」といった謂れなき非難・批判が横行しつつある。
これらの謂れなき非難・批判が世にまかり通るようになると、また、いつのまにか、教科書検定に新たな規制事項が加えられるかもしれない。
沖縄戦「集団自決」に関する教科書検定問題 “第二の「教科書誤報事件」にしてはならない”
現役雑誌記者によるブログ日記!by オフイス・マツナガより引用 [1]
こうなってしまうのはなぜなのか?
明らかにメディアの扱い方の問題だろう。
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『教科書が書き変えられた』という行為だけにスポットをあてて、その変わった中身はなにも言及されない。だから偏った解釈がいくらでも生まれてしまう。
根本原因に蓋をしたままでは何の追求も進まない。
このような報道が続いていく以上、教科書検定問題は何度でも繰り返されることになる。
歴史には不確定な要素はいくらでもある。しかし、新たな事実と認められるものが出てきたらそれは塗り替えていく必要がある。そうやって論理は整合していくし、追求も進んでいく。
今回、この教科書検定問題は相当数マスコミに取り上げられていたが、この検定の主旨である
『「未確定な時事的事項については断定的に記述しない」という当たり前の原則が貫かれただけ』というところに立ち返れば、そもそもここまで騒ぎ立てる必要性がある内容なのだろうか?という疑問さえ涌いてくる。今回の報道で、マスコミは意図的に事実を遠ざけ、問題を拡散させる存在でしかないことが浮き彫りになったのではないだろうか? 