現在、マスコミやネット上で話題となっている、光市母子殺害事件の弁護団とタレント弁護士 橋下氏との論争はどういう構造なのだろうか 
構図としては、橋下弁護士≒マスコミと捉えて、マスコミと弁護士の対立構造について考えてみることにする。
まずは、概略の状況としては。。。。。。
・2007年5月27日、弁護士の橋下氏は、テレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)の中で、視聴者に対し、光市母子殺人事件の弁護団に対する懲戒請求を呼び掛けた。結果、4000件以上の懲戒請求が提出された。
・ネット世界でも、大きく取り上げられたが、今度は弁護団の今枝氏からの反論が提出された。現在はやや弁護団側が優勢といったところか。
・「光市母子殺害事件」では弁護団が死刑廃止運動に裁判を利用している、と言われている。しかし、弁護団側の資料を見る限り、現行の司法制度内での弁護士としての活動としては何ら問題は無いように思える。(犯罪者の弁護という活動自体、あるいは法の主旨に庶民感覚とのズレがあるとしても)
・にも関わらず、ネットをはじめとしてこの事件に関する言説があふれているのは、法制度に対する違和感が高まっているとい事実があるからではないか?
今枝弁護士のブログ
http://beauty.geocities.jp/imajin28490/ [1]
今枝仁弁護士(光市事件弁護団の一人、橋下弁護士を提訴した原告の一人)の説明が乗っているブログ
http://t-m-lawyer.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_288f.html [2]
橋下弁護士が光市母子殺害事件弁護士から提訴(そこまで言って委員会:やしきたかじん:大会議室)
http://www.ytv.co.jp/takajin/bbs/bbs_res.php?bbs=BBS3&thread=1934 [3]
弁護士と庶民の感覚のズレをネタに人権派弁護士を攻撃するマスコミという構図が見えてきませんか? 🙁
また、安田好弘氏や今枝仁氏の最高裁欠席に対して、裁判所が極めて強硬な態度を取ったことを考えると、司法界上層部もマスコミと結託して、人権派弁護士の追い落としに掛かったかも。
↓に経緯
光市母子殺害事件で安田は、足立修一とともに上告審における被告の弁護士を担当(安田が主任弁護人)することになった。2006年3月に行われた第一回口頭弁論について、「日弁連が開催する裁判員制度の模擬裁判のリハーサル」などを理由に、事前に最高裁に対し、引き受け前に決まっていた期日の変更を求めたが、最高裁側がこれを拒んだため、欠席する旨を事前に伝えた。が、最高裁は、それでも開廷を強行。このとき、最高検は、安田らが欠席することを事前に知りながら、それを事前に被害者家族側に伝えなかった結果、被害者側の怒りが安田らに向かうこととなったが、まさにそれが最高検の目的であったとも言われている。[要出典]また、後述する控訴審での主張等も含め、弁護手法において大きな波紋と批判を呼び、マスコミでは「ドタキャン」と報道された。次の期日指定(2006年4月)では出頭在廷命令が初適用された。2007年5月24日、広島高裁で差し戻しの控訴審が開始された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E7%94%B0%E5%A5%BD%E5%BC%98 [4]
さらにに加えて、2年後にはじまる裁判員制度への布石という位置づけがあるのではないか。「われわれ自身が意見を言い、主張するべきだ。そうしなければ、とても受け入れがたい判決が出てしまう。」といったような。。。。。
弁護士もマスコミも共に統合階級なのにこの対立構造は、主導権争いなのか?
ただ、弁護士というのは、人権派であれなんであれ、(旧観念に染まってはいるが)まがりなりにも事実構造を論理的に組み上げようとするものではないのか?
それを、マスコミという庶民感情の操作に手慣れた連中が、大衆共認を使って操作しようと言う魂胆なのではないか?
そして、裁判員制度の開始とくると、マスコミとその背後の勢力は、共認操作だけでなく、裁判の操作によってさらに強制的な実行力へと触手を伸ばしだしたのではないだろうか?
つづく。。。。
(おまけ)
今回の「光市母子殺害事件」もネット上の論争がなければ、弁護団が一方的悪者となって終わっただろうと思う。
冷静な事実の積み上げが出来る場=マスコミによる一方的な情報操作に対向できる場、としてのネットの存在が確認できたのは一つの光明のように思う。 😀