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米国一極支配の崩壊③~’73オイルショック→アメリカ国力の低下~

America_oil.jpg
(「ピーク・オイル」―デニス・メドウズ氏に聞く(1)より) [1]
*注:実線→石油消費量  点線→石油生産量
1971年に、アメリカの原油生産はピークを迎えます。それ以降、アメリカの原油生産量は減少を続け、アラスカの油田を加えることで一時的に下げ止まったものの、すぐにふたたび減少に転じました。この国内の原油生産のピークを過ぎた後も、国内原油消費量は増え続け、アメリカは世界最大の原油輸入国となっていったのでした。
この影響で、アメリカは、中東へ石油の供給を頼ることになります。
アメリカの中東政策と、その背景、影響はどのようなものだったのでしょうか?
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<アメリカの中東政策→オイルショックの演出→アメリカ生産力の低下>
=オイルショックへ流れ=
アメリカ国内の原油生産▽→石油確保
 ↓
〈背景〉中東における、イギリス(ロスチャイルド)とアメリカ(ロックフェラー)による覇権争い
①第四次中東戦争→一次オイルショック
・石油の安定確保
・アラブ民族主義、イスラム原理主義の現状変化勢力の抑止
  ↓
イスラエルへの支援        → アメリカは、アラブ諸国支持から転換
  ↓
第四次中東戦争          →イスラエルの勝利
(アラブ諸国vsイスラエル)
  ↓ 
OAPEC、新イスラエル国に対し石油輸出禁止政策
  ↓
一次オイルショック
  ↓
石油輸出国機構(OPEC)に加盟のペルシア湾岸産油6カ国
 →・原油公示価格を21%引き上げ
  ・原油生産の削減とイスラエル支援国への禁輸を決定
  ・翌1974年1月より原油価格を2倍に引き上げると決定
②イラン戦争→二次オイルショック
イラン国内:第2次大戦前はイギリスが支援。大戦後アメリカへ転換
イラン新体制→イスラム共和国体制。アメリカの支援を受け近代化を行っていたパフラヴィー朝を倒おす。露骨な反欧米主義。イスラム至上主義
  ↓
革命によりイランでの石油生産が中断
  ↓
ニ次オイルショック
  ↓
・アメリカをはじめとする西側諸国とイランとの関係が悪化
・アメリカ大使館占拠事件→アメリカとの関係は断絶寸前
・第一次オイルショック並に原油価格が高騰
  
原油高騰によるアメリカの生産力の低下 
一方日本は・・・
・第一次での学習効果
・省エネルギー政策の浸透(深夜のテレビ番組放送の自粛。ガソリンスタンドの日曜祝日休業)
・企業の合理化効果など
→日本経済に対する影響は第一次オイルショックほどひどいものにはならなかった。
  
石油に頼っていた日本は、一時的には生産力が低下したものの、特有の勤勉さにより、生産技術を向上させていった。結果、アメリカは、対日貿易赤字が増大し、日本はアメリカの生産力を追い越す形となった。
石油高騰という、外圧に対し、勤勉さを武器に乗り越えた日本。
一方、アメリカは、国力を低下させる形になった

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