最近、日本人の脳みそ・精神の健全性を試すような発言が、たてつづけに行われている。
・アメリカ議会の従軍慰安婦決議
・久間防衛大臣の原爆しょうがない発言
そして極めつけは、
・ジョゼフ元国務長官の日本への原爆投下の正当化!
「原爆の使用が終戦をもたらし、連合国側の数十万単位の人命だけでなく、文字通り何百万人もの日本人の命を救った・・・」・・・と
これらの発言に対する日本側の対応を聞いていると、どこかおかしいことに気がつく。
マスコミや他の政治家は、久間大臣の原爆発言を、不謹慎だと大騒ぎして封じ込めた。しかしアメリカの高官の原爆正当化発言に対しては殆ど反論らしい反論をしない、できない。唯一の原爆加害者のアメリカが、非戦闘員の大量虐殺を正当化していることは、久間発言より相当重大であるはずだ。
象徴的なのは防衛大臣に就任した小池百合子の発言が
>「ジョセフ氏は前から言っているので目新しさはない。日本の見解とは異なる」(小池防衛大臣-読売)。・・・・どこか内向きな屈折さを感じる。
アメリカに対して正面から物が言えない!
★この原因は、戦後におけるアメリカの精神支配・観念支配!

ミズーリ艦上で降伏文書にサイン
実は戦争直後、日本は戦争に負けたとはいえ、精神的には敗北していなかった。これは驚くべき事実だが、西尾幹二氏は、「国民の歴史」の中でリアルに伝えてくれている。
>形の上では敗北したが、心は不服従を胚胎させていた。敵にたいし平穏かつ従順に対応したのだ。
そして、なおもつづく日本人の「不服従」にいちはやく気がついていたのは、明日の生活の糧に夢中であった日本人自身でなく、旧敵国の人々であったということだ。
戦勝国は、日本人の精神的な不服従を明確に認識し、そして次の手を打った。
>「戦闘」が終わっても「戦争」は継続していた。戦勝国はそのことの意味を深く徹底的にしっていた。戦後における戦闘に敗れたことが、日本の敗戦の本当の意味である。
>ここに戦勝国が敗戦国への占領政策として完全に属国化する「戦略」が文字通り模範的に計画的に実行された。
>戦後における戦争はじつは、ミズーリ艦上の降伏文書調印式の日から開始されていた。
「今次の勝利は、武器による勝利以上のものであり、圧制に対する自由の勝利である。われわれの武装兵力を戦争において不屈たらしめたものは自由の精神である。・・・」(byトルーマン大統領)
・・・とどこかでよく聞くセリフが登場し、本格的な観念操作・支配の幕が切っておとされた。西尾氏によれば、トルーマンの言葉には
>国家悪に対する個人の自由、ファシズムに対する民主主義、軍国主義に対する平和主義といった、ほぼ一連のパターンナイズ化された価値基準を読み取ることができることに改めて愕然とする。・・・われわれ自身があたかも戦勝国民となって、自ら「自由の精神」を讃え、自分の国の過去を冷ややかに見下して語っているかのごとくである。
>トルーマンの演説に直ちに有効に反論し抵抗しなかった日本は、戦争に敗れただけではなく、政治においても敗れたのである。
この時点からの政治的・観念的な敗北が、未だに続いているのだ。
ではわれわれは、どのようにして不服従の精神から、“自ら「自由の精神」を讃え、自分の国の過去を冷ややかに見下す”ような人間に改造されたのだろうか?・・・・・そのための実に明確な占領政策が実行されていく。・・・続く
(by Hiroshi )