みなさん、こんばんは!
(people chain 600km 200万人参加 1989.8.23)
『バルト三国を現在、天皇両陛下が訪れています。』
というニュースをご存知でしょうか?このニュースからはマスコミの報道には見られない日本の外交を知る上で非常に重要な切り口が、ネット上に紹介されていたので引用します。
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(以下引用)
http://meinesache.seesaa.net/article/43131755.html#comment [1](マイネザッヘ参照)
これまでの皇室外交というと、当たり障りのないものばかりでしたが、今回は旧ソ連圏初の訪問で、しかもタイミングがすごい。何しろバルト三国のエストニアは、ロシアとにらみ合いの真っ最中で、首都タリンは、数週間前に起きた過去100年来最大という争乱の傷跡がまだ各所に残っている状態でした。
ナチスからの解放を記念して建てられた旧ソ連兵の銅像を、「抑圧者の像が首都のど真ん中にあるのはおかしい」(表向きの理由は、銅像の下に埋葬された遺骨の発掘)と移設しようとしたエストニア政府に対して、「ロシアあっての弱小国のくせに、EUに加盟したからっていい気になりやがって!」(表向きの理由は、歴史修正主義への義憤)とロシアが激怒。去年の暮れあたりから、両国の関係は極度に悪化していました。
ロシアはあちこちで反エストニアデモを動員し、「経済制裁だ!」「断交だ!」と叫び、4月の下旬にエストニアが銅像の移設を強行すると、タリン市内でロシア系住民の暴動をあおり、さらには大規模なサイバー攻撃を仕掛けました。
世界で初めて国政選挙のネット投票を実現するなど、ネットの先進的活用に国の独自性を見いだそうとしている小国にとって、この攻撃は堪えました。エストニアの国防省は、「空港や銀行や国のインフラがミサイル攻撃を受ければ、明白な戦争だ。しかし同様の損害がコンピュータによって与えられた場合何と呼べばいいのか?」と事態を戦争に例えるほどでした。
天皇皇后両陛下は、そんなタイミングで、エストニア入りしたのです。
地政学的にロシアの懐にあるバルト三国は、口では連帯を表明するヨーロッパ諸国に、いざという時に見捨てられてきた歴史を持ちます。2004年にEU入りしたものの、今回の件でも、事実上ヨーロッパ諸国に厄介者扱いされていた小国にとって、日本の顔の訪問がどれほど心強く映ったか、想像に難くありません。
http://http://news.monstersandcritics.com/europe/features/article_1308813.php/Battle-scarred_Tallinn_smiles_on_Japans_imperial_guest [2]自国の100倍にも及ぶ国から外交圧力を受ける状況下で、多くのエストニア人たちは天皇の訪問を、国際社会で友人を失っていない証拠だと受け取っている。
「・・・この訪問は、エストニアのイメージはロシアとの小競り合いにより傷ついていないという良い例になります」とエストニア外交協会のアンドレス・カーゼカンプ氏。
<Battle-scarred Tallinn smiles on Japan’s imperial guest>隣国リトアニアの大統領も、天皇の訪問を大国日本から認められている証として受け止め、「日本に認めてもらうことは、私たちにとって非常に価値のあることだ」と語っています。
というわけで、今回の皇室外交は、単に友好関係を高めるなどというレベルではなく、積極的に世界をデザインしていこうという日本の意思を示す、画期的なものでした。
それにしても、オーストラリアと同盟は結ぶわ、中東諸国と独自に関係を強固にするわ、カザフあたりではウランの獲得でロシアに先んじるわと、最近の日本はどうしちゃったんでしょう?
今回のこの皇室外交について、相変わらずマスコミは『毎度毎度の観光旅行ネタ』のようにしか取り上げていない。しかし、このブログ記事を読んで分かるように危険な状況にありながらスケジュールを強行したことは、日本の外交関係の大きな前進であり、それは『なぜだろうか?』と考えさせられる内容にもなっている。
この両者の取り上げ方の違いが意味することは、
今や『社会問題全般を見るには、もはやマスコミの情報では不十分すぎる!』 8)
ということだろう。
マスコミの商業主義体質、アメリカ追従一色の報道、大きな事件だけを取り上げ続ける偏向報道では、国民の求めている情報には全く応えきれない。
新しい媒体としてのネットがそれを補うどころかむしろ、利益追求ではない事実追求の切り口によって可能性を提示しているということだ。
記事の取り上げ方で、いくらでも社会に対して可能性を発掘できること。これこそがインターネットの可能性だと思う 😀