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教育問題から伺えるマスコミによる問題の深刻化

マスコミによる教員への批判が一時期相次いでいたが、果たしてその批判は正しいのであろうか?

この一年の間に批判された内容はまず、高校生の未履修問題があった。この問題の背景には特に予備校過疎地である地方で高校にしか大学進学を頼む事ができない地域で発生した問題であり、大学への進学をどの様に実現させるのかという保護者や生徒からの期待に対して高校が行なった手段であった。これに対してマスコミは不平等であるとして攻撃を加え、ついには校長を自殺に追い込む事件を引き起こしてしまう。こうした状況にありながら問題を発生させた張本人である文部科学省、そこの最高責任者である文部科学大臣の伊吹文明は「受験に有利なことだけ教えたっていうのは未履修問題。
教育の世界における村上ファンドやライブドアみたいなもの」(http://echoo.yubitoma.or.jp/weblog/kamiwaki1958/eid/436383 [1])とまるで自分達の責任ではなく、世の中やそれを行なった社会の責任と責任の放棄を行なう発言をしている。

次にいじめの問題である。いじめによる自殺をマスコミはたたき始める。そして、それを教員へと責任を擦り付けてしまった。


だが、そもそもいじめが発生しているにも関わらず、何故、保護者は気が付かなかったのか?一番身近にいるのは親である保護者であり、保護者はその名の通り、その子を保護してこその保護者ではないのか?それができなかったのは保護者自身が悪いのではないのか?そうした家庭内の状況を顧ずにマスコミは教員を叩き、更には地域の教育委員会を叩いた。

しかし、教育とは国家の根幹であり、一番の責任は国にあるのではないのか?この国の責任対してマスコミは殆ど触れず、挙句の果てにかの伊吹なる大臣は「文部科学大臣からのお願い」(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06110713.htm [2])として、「いじめがあれば相談しなさい」的な思考で傍観者的発想でしかない。

この事例から何が言えるか?これはまず、マスコミは目先の現場にしか目が向いておらず、とにかく目の前の叩き易い教員という存在を叩いて喜んでいるだけに過ぎず、その根幹部分にある不全。即ち国家や保護者という問題の根幹部分へは突っ込んだ議論を行なわず、結果として何ら問題解決に繋がらないのである。

では、何故マスコミは議論の本質を叩かないのか?それは相手が強者だからである。国家という強大な権力を持った政治家や、マスコミの命綱である視聴率、そこの部分を握っている圧倒的多数の保護者への攻撃は自らの首を絞める事に繋がる。だからこそ、マスコミは叩くことができず(意図的に叩かず)問題は解決しないのである。

この事からも判る様に、マスコミには最早問題解決能力は無く、むしろ現場で解決を図ろうとする教員を叩くことで教員を萎縮させ、問題をより深刻化させているといえよう。

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