- 日本を守るのに右も左もない - http://blog.nihon-syakai.net/blog -

権力争い ~淀屋vs徳川家~

突然ですが、淀屋という豪商を皆さんご存知ですか
元々は、治水土木や材木業を生業にしていた淀屋は、秀吉時代に伏見桃山城の造営工事の建造資材運搬総取締等で、手腕を発揮し、秀吉に認められ、町方支配役の元締衆として市政に携わった。
その後、徳川家康の大阪の陣での仮城の建築の功績により、身代の元となる米商いの元締めとなることを認められました。
幕府のお墨付きをもらった淀屋は、その後約100年(5代)に渡り、各藩の蔵米の総元締めとなり、米の価格を決めたり、なんと先物取引等によって、豪商への道を歩んでいきます。  つづく!!
(現在の淀屋橋も淀屋さんがかけた橋という事で、呼称されているそうです )
続きを読んで「頑張れ~」と応援してくれる方は、ワンクリックをお願いします 😀
 


その生業で蓄えたお金で、淀屋4代目以降、上方以西の各藩への貸付を盛んに行い、なんとその額現在の金額で、120兆円にまで上ると言われています
なっ、なんと現在の国家予算を超えているよ~~
そして、その債権によって、各藩が窮地に追い込まれるようになると 、淀屋5代目辰五郎の時代に辰五郎が、1年半もの間に100億円近くを豪遊費として使用していた事が、時の将軍綱吉の怒りに触れ、「倹約令違反」にあたるとして、闕所(けっしょ)=財産等全てを没収という罰を受け、淀屋の社会的地位を剥奪という出来事を起しました。

(でも、実際綱吉も寺社建設等で浪費癖は同じくあったようです)
権力を脅かすまで力を付けていた淀屋に対し、幕府は辰五郎の豪遊を淀屋討伐の正にうってつけの事象として“力 ”誇示の為行ったのだと思います。
権力者に取っては、相手がうまみのある時には、とことんうまみを搾り取り、自分の地位を脅かす存在となった時には、権力によって相手の社会的地位を奪い去る。何時の時代も一緒だな~と思う 😡
『国民全員が政治に参加出来るシステム構築が必要
』(むはひふさん)
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2006/12/post_86.html#more [1]
で取り上げられている選挙権の話は、現状の権力体構造を解体しない限り、道(可能性)が見えてこないと思う今日この頃・・・
シオンでした。

[2] [3] [4]