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新聞社の閉塞

写真家・藤原新也氏のブログ『Shinya talk [1]』に、ある朝日新聞記者による社内の閉塞状況を訴えた文章が掲載されていました。

私も朝日新聞で記者として働いています。
朝日がおかしい、というのは、社内の心ある多くの記者が感じていることではないでしょうか。異常なほどの自己規制、減点主義に、必然性があるとは思えない「社内改革」の数々。20年ほど前に入社したころの空気と、今の空気はまったく別物です。新聞記者が書くことで喜びを感じるのは、おかしい、と思ったことを追求する。おもしろい、と感じたことにとびつく、世の中の空気の変化を敏感に感じ取る・・・そういったことでしょう。けれども、こうした前向きな行動の結果、訂正でも出そうものならよってたかって袋だたきにされるのが現状です。政治家や大企業、そんなところから抗議が寄せられそうな記事も、徹底的に薄められます。「訴えられたらどうするんだ」という口癖の幹部はひとりやふたりじゃありません。結局、上昇志向のある記者は、世の中の空気より、社内の空気を真っ先に感じ取るために嗅覚を働かせ、ろくな記事も書けなくなります。

かくいう私も、このまま社内の「体制側」で記者たちを締め付ける側に居続けるのか一記者としてせめてもの抵抗を続けるのか、それとも、もう会社に別れを告げるのか、日々考えています。こんな空気を一掃しないとだめだ、と声をあげ、朝日新聞を、もっと心ある新聞へと立て直そう、という選択肢も当然ありますが、そんなことをしても無駄だという気持ちになるし、そこまでこの新聞に愛着を感じない、という、もはやそんな状況です。

メールをいただいて、すぐにでも返事したかったのですが、職場にいる間は社内のLAN回線経由になってしまい、こうした文面が覗かれるのもいやですから、自宅に戻って書いています。というのも、1年ほど前でしょうか、社内の議論の様子や、限られた人間しか見ることのできない資料が外部に漏れて、雑誌に掲載されることが相次ぎ(そんなことはもっと前からありましたが)「必要とあらば社員のメールやHPの閲覧履歴を調査することもあり得る」と幹部が宣言しました。情報が命の職場にあって、その情報を検閲するという行為に、社内のあちこちからため息が漏れていました。度量が小さくなったものです。そのころからでしょうか、危機管理、という言葉がことあるごとに持ち出されます。いまや、編集幹部の最重要課題は危機管理なのです。新聞記者に危機管理??喜劇的ですらあります。

いま、仕事をしながら感じる違和感は相当なものです。先日のメールにも書きましたが、これからどうするのか、と自分に問うた時、悲しいかな、この会社を建て直そう、という気持ちにはなかなかなれません。手遅れかもしれない、とさえ思うからです。これは、私のひとりよがりな感想であって、実態はそんなにひどくないのかもしれません。しかし、朝日新聞を外側から見ている、他の企業のひとたちなどと話をしていても、朝日新聞、朝日新聞記者への違和感を聞く機会が本当に多くなっているのです。

引用ここまで。
1年前(ちょうど自民党の圧勝劇以降か)、朝日新聞社内の検閲体制や自己規制が異常なほど強まっていることが伺える。その中で心ある社員・記者たちは萎縮し、窒息しかかっている。このような事態は朝日新聞に限った話ではなく、ほとんどの新聞社・テレビ局で進行しているのではないだろうか。
マスコミが第一権力でなくなって久しい。’90年代以降、「社会をどうする?」という答えが出せないマスコミはその批判力さえ失い、今や国家の尻馬に乗ることでしか延命できなくなった。そして、アメリカの支配勢力→官邸・電通→マスコミへの言論規制が強まり、今やマスコミ自身が「危機管理」と称して強力な検閲と自己規制を敷いており、心ある社員・記者たちは今や会社を見限りつつあるようだ。
次に起きることは何か? この記者氏のように、心ある社員や記者の方々がインターネット上で、アメリカ→官邸・電通によるマスコミ支配の実態を明らかにし始めるのではないだろうか。
(本郷)

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