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東欧系ユダヤ人がアメリカのメディア産業に進出したのは、何で?

 Warner Bros. UNIVERSAL Paramount Pictures FOX ABC CBC NBC…etc.
 日々見聞きするマスコミ報道や洋画情報で馴染みのあるこれらアメリカの映画会社・ラジオ・テレビ局を作ったのが「東欧系」ユダヤ人というのはご存知だろうか?
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以下ヘブライの館2
「アメリカ・ビジネス界のユダヤ人の実態」 [1]より引用
 ナチスの迫害から逃れるためアメリカに移住したユダヤ人が、アメリカ映画産業に本格的に参入したのは1900年初頭である。その後1920年代の「ハリウッド・メジャー」と呼ばれる8大映画製作会社が誕生したのだが、その内なんと7社が東欧系ユダヤ人をトップとする会社であった。
 ハンガリー生まれのウィリアム・フォックス、ポーランド生まれのベンジャミン・ワーナー、ハンガリー生まれのアドルフ・ズーカー(パラマウント社)などによって、従来まで低俗文化と見なされていた映画が一大娯楽へとのし上ったのである。
 映画で成功を収めた東欧系ユダヤ人達は、その後ラジオ→テレビ業界(3大ネッワークのABC・CBC・NBC)まで進出し、いまやアメリカのメディア産業の根幹部は彼らの支配下にある、といっていいほどまで発展してきました。
 さてここで、なぜ「ユダヤ人とりわけ東欧系の人々がアメリカのメディア産業に進出していったのだろうか」という疑問が浮かぶ。
 そのひとつにユダヤ人のアメリカ移住の時期と出身地(民族性)が起因するようである。

>最初にやってきたのは、カトリック教国のスペインとポルトガルから追放されたユダヤ人(スファラディム)だった。ユダヤ移民の第2波は、1820年から1870年頃まで、主にドイツからやってきた25万人のユダヤ人である。特に1848年の革命の敗北によってアメリカに避難したものが多かったので、彼らは「フォーティエイター」と呼ばれている。彼らの多くはアメリカで巨億の富を築き上げた。
1880年代初頭から1924年頃まで、ロシア国内のポグロム(ユダヤ人迫害)が原因で、280万人の東欧ユダヤ人(アシュケナジーム)がアメリカになだれ込んだ。
>アメリカのビジネス・エリート社会において、先着のドイツ系ユダヤ人(西欧ユダヤ人)は、そのたぐいまれな国際的金融コネクションを駆使して投資銀行業界で威勢をふるい、更に同化主義的でユダヤ教色が希薄であったことから、準ワスプ(WASP)的な“好ましいユダヤ人”としての待遇を獲得していた。(WASPとは、アングロサクソン系アメリカ人プロテスタント教徒の略称である)。
一方、後からやって来たユダヤ教色の強い東欧ユダヤ人は、ワスプから蔑視された。第1波の貴族的なスペイン系ユダヤ人や、第2波のドイツ系ユダヤ人と違い、ロシアの寒村やゲットーからやってきて、ニューヨークに住み着いた第3波の東欧ユダヤ人たちは、いかにも異様だった。
20世紀初頭のアメリカでは、平均的なワスプ系の人々は、移民の大半を占めていた東欧ユダヤ人を、文化的・生物学的に劣等な輩と見下し、アメリカ社会に同化困難な異質な存在とみなしていた。心の奥でそう思うだけでなく、それを態度であらわし、露骨な差別行為を行なうことさえ、当時としては珍しくなかった。


 元々移住したユダヤ人はヨーロッパで虐げられてきた経験から劣等意識を持っていると言われているが、とりわけ東欧系ユダヤ人はアメリカ国内においてもドイツ(西欧)系ユダヤ人からも迫害され、二重の劣等意識を持っていたと考えられる。
 同時にすでに国際金融で巨額の富を得ていたドイツ系ユダヤ人に対する反骨精神から、彼らが牛耳る経済の本流から外れた周辺的かつ未成熟な産業分野である映画産業に目をあて、ビジネスを開拓していった、というのがことの真相である。
(当時映画産業は低俗文化と見なされ、貧しく無学な労働者層(=東欧系ユダヤ人)を観客としていたので、東欧系ユダヤ人が映画に接する機会も当然多かった。また貧困層にとってみると、映画は日常の厳しい現実を緩和させる代償品であった。)
 そして、彼らがその後ラジオ→テレビ→複合メディアへと舵を切っていったことは非常に興味深い。
 ユダヤ人とて、民族が異なるとその処遇も意識も異なってくる。
 特に東欧系ユダヤ人は、長い歴史の中で虐げられたことで生まれた劣等意識、そして現実の生活苦を代償させるもの(=映画やテレビ等)への可能性が現在のアメリカの巨大なメディア産業を作り上げたのではないだろうか。
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