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答え探索を始めた保守勢力

Posted By hongou On 2006年11月4日 @ 11:12 PM In 12.現代意識潮流 | 6 Comments

一年前の「小泉選挙」後、保守言論界が割れているらしい。左翼叩きや嫌韓・反中を叫ぶだけの勢力と、「このままでは日本はヤバイ。なんとかしなければ」と気づいて答え探索を始めた勢力に。
以下「西尾幹二のインターネット日録 [1]」からの引用。

いま保守とは何か?というテーマが関心を呼んでいる。安倍内閣がスタートして、「真正保守」と期待された新首相の予想外の姿勢の崩れ、ブレないはずの人がこんなにもブレた態度の甘さに失望が広がると共に、あらためて保守とは何であるかが問われている。
いままで保守言論界は靖国、愛国、防衛、歴史問題の一点張りで、反中国、反韓国、反北朝鮮の方向にだけ引っぱられて、それだけ言っていればよい一枚岩であった。しかし保守の言論はいま間違いなく二つに割れ始めている。
相変わらずこの方向を重視する姿勢に変わりはないが、ただそれだけでは不十分だという新しい認識が生まれ始めていて、そのことに気づかない旧態然たる勢力と、気づき始めている勢力との二つに分れかけている。
切っ掛けをなしたのはやはり昨夏の「小泉選挙」であった。(中略)「失われた10年」といわれた経済の低迷期に私は経済をどう考えてよいか分らず、筆を押さえていた。靖国、愛国、防衛、歴史問題の一点張りで、反中国、反韓国、反北朝鮮を論じていれば済む保守言論界の十年一日のごときマンネリズムに私もひたっていたが、これではいけないと気がついたのは昨年の「小泉選挙」だった。
民活化路線、教育の自由化路線、レーガニズムとサッチャリズムに日本の行くべき方向を一方的に合わせた中曽根元首相の「改革」路線がはたして「保守」の歩むべき方向なのか、という疑問をもともと抱いていた私は、小泉選挙の少し後で、『Will』2005年12月号に「保守論壇を叱る」という自分には曲り角をなす重要な論文を書いた。これには「経済と政治は一体である」という副題をつけている。冷戦時代の遺物のような、リベラル左翼のイデオロギーを叩く日本の保守言論者の硬直ぶり、靖国、愛国、防衛、歴史問題の一点張りの硬い姿勢ではもうやっていけないという警告をこめた評論だった。
「改革」は果たして「保守」のやることか。自民党はすでに保守政党ではないのではないか。共和主義的資本主義政党でしかないのではないか。日本の資本家に愛国心も国境意識もない。このまゝでは果てしなくアメリカ化の泥沼に足をとられ、併呑されていくばかりである。
靖国、愛国、防衛、歴史問題といえども、日本がほんとうに日本であるためには、アメリカの指し示して来た方向と一致するはずがない。ことに歴史問題において、「アメリカの正義」は過去において「日本の正義」と正面衝突をした。
そのことがだんだん分ってきて、反中国、反韓国だけでこと足れりとする保守言論界のマンネリズムに最近ようやく変化の萌しがみえかけている。安倍首相の煮え切らない心の迷いの正体が何であるかを考えると、この問題にぶつからざるを得ない。経済問題で小泉路線を引き継ぐ安倍氏は、アメリカに屈服するのは安全保障だけでなく、経済政策と二重になっている。事実上手足をもがれている。

今や右翼・保守勢力の中にも、批判するだけ(ex.反左翼・嫌韓・反中)ではダメなことに気づき、答え探索に向かう勢力が登場した。この動向は注目に値する。
答えを出せずに批判するしか能がない○ちゃんねるやネット右翼たちに対して、心ある右翼・保守勢力が愛想を尽かし離れ始めたということを意味する。
批判するだけで答えを出せなかった左翼勢力は’90年代半ば以降、一気に凋落した。それに続いて、いよいよ’00年代半ば以降、批判するだけしか能がないニセ右翼勢力も凋落する。西尾幹二氏の言葉はそのことを予見しているのではないだろうか。
答えが出せるか否か?そのことが真に問われる時代が既に始まっている。(本郷)


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[1] 西尾幹二のインターネット日録: http://nishiokanji.com/blog/

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